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都城市民会館秋祭り-追記-

都城市民会館秋祭り+シンポジウム+親睦会に参加して僕なりの感想をつらつらと。

今日でこの建物と対面するは4回目ですが、ようやく内部を見学できたました。

そこでは設計や建設に関った人たちの気持ちの強さを感じることができましたし、シンポジウム・親睦会で存続活動を続けてこられた方々の真剣さや明るさに触れられたことは僕自身にとっても非常に有意義な経験でした。
もしかしたら、人が今まさにまちを動かそうというダイナミズムに触れた初めての経験かもしれませんし、こういう、人の気持ちのこもった、そしてさらに、関係者の思いを超えて建物自体が独自の存在としての命を宿したような建物を簡単に壊すべきではないと強く思いました。

市民会館をなぜ壊さないで欲しいかは何度か書きましたが、やっぱり大切に使っていくことが次の世代に対する大人の責任だと思います。
親睦会で「都城市民会館の再生利用を考える会」代表の黒木さんとお話する機会があったのですが、お孫さんが「なぜ壊すの?」と聞かれるそうです。なんとなく特別な存在なのでしょう。

それを壊すということは、お孫さんから特別な存在を将来にわたって奪うということです。さらにいえば、お孫さんには心象風景・思い出として市民会館が残るかもしれませんが、今から生まれてくる子供たちは思い出にすることさえできないのです。
そういうことを続けていけば本当に砂漠のような風景になってしまい、一番大切な”ヒト”が去っていきます。そうなってからでは遅いのではないでしょうか。

そんなことを考えながら、本当に残ってよかったし未来に向けての活用を議論できることは幸せなことだと実感しました。

と言っても僕は都城市民ではないんですが。ただ、思いのこもった建築が経済の道具にされて壊されることを避けられた、という事実が嬉しいのかもしれません。

帰りはヒラカワさんに途中まで送って頂き、最終電車で帰ったのですが、電車に揺られながらそういえば都城市薩摩川内市に感じが似てるかも(人口密度には若干開きがありますが)と思いました。
なぜか川内の方々とまちづくりなんかについて語る機会があったのですが、川内の方のあんな記事こんな記事を思い出してこういう概念は使えるかもと言う気がしてきました。

僕なりの理解ですが、人々の振る舞いに「プレイヤー(選手)」「ディレクター (スタッフ)」「オーディエンス(観客)」という3つの型があるとします。

昔の市民会館には何か催し物があると長い列ができていたそうですが、それはプレイヤーとスタッフの提供するものをオーディエンスが受け取るという形だったと思います。

娯楽の少なかった時代はそういう形式で良かったのかもしれません。しかし、娯楽のようなものが分散化し、ましてはMJのような新しい施設ができた今では市民会館には別の形式が求められているのだと思います。

別の形式とは例えば、今までオーディエンスだった人をプレイヤーまたはディレクターに引き込んで”共に楽しむ”という形式で、市民会館がそのためのステージ(舞台)となることです。

シンポジウムでの多くの意見もそういう方向だったと思います。

それはハードとしてのステージでもあるだろうし、人々の意識をつなぎとめる ため、イメージを共有するためのの意識の上でのステージでもあると思います。(ステージだと観客を想定してしまいますのでフィールド(場)といった方が良いかもしれません。)

そのためには、いろんな人が簡単に参加でき、思い思いにプレイヤーになれる仕組みづくりが必要でしょうし、そうした思い思いの活動をひとまとまりにするための共有のイメージづくり、例えばシンボルマークをつくるなどの一種のブランディングのようなものが必要になるでしょう。

当然、大学側の理解と協力が無ければできないことですが、それは大学自体のブランディングにもつながることですし、「解体の危機から一転全国でも”先進的な事例”」といえるような活用のされ方ができれば、 全国的に希有なポジションを獲得できます。

それは市、大学双方にとって願ってもないこと、まさに千載一隅のチャンスだと思います。というより、その道しかないようにも思いますが。

とまぁ、そんなことを考えながら帰りました。

もしかしたら、そういう物理的にも心理的にも共有できるものがある(残せた)都城はまだ幸せな方かもしれません。

都城が新しいまちづくりのありかたを切り開いてほかのまちや危機に瀕する建物の関係者に希望を与えてくれるようになることを願います。

最後にヒラカワさんはじめ関係者の方々、お世話になりどうもありがとうございました。そして、お疲れ様でした!




都城市民会館秋祭り

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都城市民会館秋祭りに行って来ました。

上の写真は西都城駅から。駅を出てからホームからよく見えることに気付き、入場券を買って再度ホームに上がって撮影しました・・・・ちょっと抜けてましたね。念願の内部を見学できたり、懇親会に参加させていただいて楽しい時間を過ごすことができました。いろいろと感じる部分があったのですが、とりあえず今日のところは写真のアップだけにして、後日追記します。
おやすみなさい。

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※これまでこのブログで都城市民会館にふれた記事はこちらからどうぞ




W002 『都城市民会館』

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□所在地:宮崎県都城市
□設計:菊竹清訓建築設計事務所
□用途:市民会館
□竣工年:1966年

[gmaps:31.721021650841944/131.05908393859863/17/460/300]都城市民会館[/gmaps]

菊竹清訓のメタボリズムを体現するような作品。

これも、『今となってはどうかな』などと思っていたのだが、さすがに良かった。

早朝だったため内部は見れなかったが、その力強い外観には感銘を受けた。

宮崎駿のアニメに登場しそうな、生物とも要塞とも見える今にも動き出しそうな姿には愛着を覚える。

建物がキャラクターを持つと言うのは大切に思う。

その建物に感情移入できることで、自分の意識と建物の間に関係が生まれ、空間の感じ方に少なからぬ影響を与えると思うのである。

建物に生命を吹き込むと言えば大げさであるが、そんな大げさなことも大切ではないかと思い出しているこのごろである。

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追記(‘07.05.01)
再度訪れてみたけれどもやっぱり傑作。
ほぼ取り壊されることが決定しているようですが残念でなりません。2007.04.29の段階ではまだ外観は見れました。壊される前に是非一度訪れてみてください。(内部は休館になっています。)
新しく出来た施設はどこにでもあるような”いかにも施設”という建物。こうやって都市の中から記憶がなくなり、どことも区別のつかないフラットな都市になっていくのでしょう。
あー、やっぱり残念です。建築がいつも政治の道具ぐらいの扱いなのが悔しい・・・

追記(‘07.05.22)
まだ、存続の可能性は残っているようです!
ここに動向が載っていました。

追記(‘07.10.30)
解体予算可決から一転、大学施設として活用されていくことになりそうです!
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まちづくりの当事者は誰?

先日のエントリーにつづき素朴な疑問を。
長文です。

まちづくりの当事者は誰?

「だれのため?」というのが先日のエントリーの疑問だったわけですが、では、まちづくりの当事者っていうのは誰になるんでしょうか?

まだぱらっとしか読んでませんが、薩摩川内市中心市街地活性化基本計画(素案)をみてみると、

本市の中心市街地を活性化する必要性については、57.8%が「必要だと思う」となっている(p28)

とあります。
しかし、このうちどれぐらいの割合の人が、他人事(誰かがやってくれるなら活性化したほうが良い)ではなく自分のこととして「必要」と考えているでしょうか。(ちなみにパブリックコメントは4件です)

当然、一番の当事者は市街地で商売等をしている人、もしくはまちづくり団体や行政に違いないのでしょうが、それだけでは十分ではないように思いますし、実際には市街地で商売していても当事者意識が薄いことが問題であることも多いようです。

オノケンノート ≫ B110 『M2:ナショナリズムの作法』

フランスでは「連帯」という社会形式自体がコモンズだと考えられてきた。だから”家族の平安が必要だ”に留まらず、”家族の平安を保つにも、社会的プラットフォームの護持が必要だ”という洗練された感覚になる。日本人にはその感覚は皆無。家族の問題は家族の問題に過ぎない。

実際にフランスでどの程度コモンズの意識が共有されていて、何が守られ、どんな問題があるのか、ということは分かっていないのですが、「その社会に住む人が自分達の生活の質を確保するためにある意識を共有し、一定のコストを払うことに同意してる状態」というのは一つの理想として参考になるんじゃないかと思っています。

言ってみれば、多くの市民にまちづくりの当事者であると感じてもらい、その結果としてまちづくりも前進する、ということが一つの目標であっていいんじゃないでしょうか。

当事者意識

当事者意識を持ってもらえるというのは
中心市街地の存在理由 – 薩摩之風

この「そこに集まって住む理由」が希釈されてきてるんじゃないかと思うわけです。

という問題意識の延長、まちのアイデンティティとか生活のリアリティとかの割とみんなの生活に直結することにつながると思いますし、逆に言えば、中心市街地の一つの機能(存在理由)として「まちのアイデンティティ(当事者意識)を守り育てること」というのが想定されてもいい様に思います。
(当然、郊外大型店が戦略として同じ機能を目指すことも考えられますが)

また、その際に重要だとすぐに思いつくのは二つあります。

一つは「ひと」。たぶん当事者意識の伝播は「ひと」を介してしか行われないと思うから。

もう一つは(建物だけでなくあらゆる意味での)「デザイン」。デザインには事物を分かりやすくしたりして「感じ方」を左右する力があると思うから。

当事者=プレイヤー?

とここまで書いてきて、川内組とだいぶ前に議論?した「プレイヤー論」と同じでね?前に進んでないんでない?という気がしてきました。
(参考)
商店街の活性化と地元にオープンした大型SCのこと – 薩摩之風
さつませんだい徒然草:オーディエンス化する社会その2
オノケンノート ≫ 都城市民会館秋祭り-追記-
など。

そういえば
中心市街地の存在理由 – 薩摩之風

プレイヤーはどこに居るのかな プレイヤー=商業者、じゃなくてもいい

てなことを書いてますね。

ただ、それぞれの定義や役割をもう少し練れば、人々の振る舞いを「プレイヤー(選手)」「ディレクター (スタッフ)」「オーディエンス(観客)」という3つの型で仮定するのは思考の枠組みとして使えるような気がします。
あっ、あと無関心組も追加しないといけないかな。

余談:当事者意識の限界?

少し余談になります。
僕は今年は行けなかったので思いっきり推測で物を言いますが、甑島でつくる活動はこの当事者意識の伝播の共同体のようなものではないかという気がします。

応援隊のブログを読んだり、twitterオフ会で@undoundyと@norigoeの会話を横聞きしてそう思ったのですが、主催者や応援者、住民と当事者意識を共有しているまたは共有したいという欲求がこの活動を支える一つの力になってるんじゃないかという気がします。
ただ、「当事者意識の共同体」は「外部」の存在を意識した場合に共同体ゆえの限界があるかもしれません。(共同体がだめと言うわけではなく可能性の問題として)

同じようにまちづくりを当事者だけの問題とすることには可能性とともに限界を生むかもしれないなと感じます。

余談:その他

・こんなやたら長い文よりも
指宿商店街ゆるり散歩 – 4代目若女将の成長記録
ってな行動の一つ一つの方が大切かも。っていうか、さすがの行動力です。脱帽。

・@rectuswarkyのひとりブレストに反応しようかと思いましたがそれはまた。っていうか、ハッシュタグつけてtwitterに晒せば反応しやすいように思いますがどうなんでしょう。




メタボ

metaborc
今晩から『metabo-baby』の模型に入っています。

構成がシンプルなのでRC(鉄筋コンクリート)部分までは出来ました。

オリジナルの都城市民会館メタボリズム の思想で設計され、しっかりとしたRCの上に新陳代謝の可能な鉄骨が載せられています。

オリジナルとは違いますがこうして模型を作ってみるとその辺がよくわかりますね。

都城市民会館についてはもっと詳しく書きたいところですが、明日に備えて今日はこれまで。




HS-07 メタボベイビーの家

危うく殺されかけて生きながらえたメタボザウルス(都城市民会館)から子供が生まれたら。昆虫の幼虫のような、グロテクスないびつさに感じる強い意志。保存活動に少し関わっていた都城市民会館が土壇場で存続することが決まった記念に作成してみました。

2008年 住宅
敷地面積151.90㎡(45.95坪)
延床面積86.50㎡(26.17坪)






W040『九州国立博物館』


□所在地:福岡県大宰府市石坂4-7-2
□設計:菊竹清訓
□用途:博物館
□竣工年:2005年

都城市民会館と同じ設計者による博物館。

都城ほどの野性味は感じませんでしたが、うまいなぁと思いました。

威厳と活気の共存

何がうまいなぁと思ったのかというと、内部に入るとアジア的な活気を非常に感じました。
それでいて国立博物館としての威厳を兼ね備えています。建築が媚びていません。

その辺のバランスは非常に難しいと思うのですが、良い意味でも多少悪い意味でもさすが大御所だと思いました。このぎりぎりのバランスをとるのは、なかなかできるものではありません。
スケールについてはコストの問題等賛否両論あるように思いますが、僕的にはありだと思います。

今回は時間がなかったので展示室には入らなかったので、今度入ってみたいです。

また、連絡通路を通じてすぐに大宰府天満宮に行けるので一度に二度楽しめます。まる一日遊べそうです。


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メタボベイビー



メタボザウルスが子供を産んだら。

今、4つほど空想案を考えているんですが、そうのうちの一つ。

案というより、単なるパクリ。良く?言って二次創作。

危うく殺されかけて生きながらえたメタボザウルスから子供が生まれたら。という設定です。
大きくなったら公共建築になりたいと夢見るSOHO住宅くん。

都城市民会館が出来た当時は世界中の建築学生がまねをしてそこら中に市民会館もどきの案が林立したそうですが、建築のDNAが伝播してどんどん繁殖していったっていいような気がします。

昆虫は幼虫のころはたいていグロテクスないびつさをもっているので、もっといびつにしようかとも思いましたが、なるだけ素直にパクリました。

著作権うんぬんと言われると削除せざるを得ないかもしれませんが、市民会館継続のお祝いと菊竹さんへの敬意をこめて。
個人的スタディの一つと思って暖かい目で見て頂けると嬉しいです。

それにしても、僕が簡単に作っただけでも思ってたよりサマになるんだから、もとの思想の骨格は半端じゃないレベル。
やっぱりすごいなぁと痛感しました。
これはオリジナルでは出来そうにない。

いろいろとデフォルメされた個性的なメタボザウルスがそこら中に建っているのを想像するのもいいかもしれません。

せっかくなので模型までつくってまとめるつもり。いずれPROJECTにアップします。

オノケンノート ≫ HS-07 メタボベイビーの家




朗報!

ヒラカワさんのブログを見てびっくり。

2011年に都城に移転予定の南九州大学が、市民会館の20年間の借用を申し入れ、市が前向きに検討するというコメントを出した。そんなニュ-スが飛びこんできたのが29日の朝9時過ぎでした。


慌ててニュース検索してみると
現代建築の傑作都城市民会館解体一転保存へ南九州大に貸与検討 =2007/10/30付 西日本新聞朝刊=

「現代建築の傑作」とされながら、解体される予定の宮崎県都城市民会館について、南九州学園(宮崎市)の渋谷義夫理事長が29日、都城市役所を訪れ、20年間の貸与を申し入れた。2009年4月に南九州大学キャンパスの一部を同市に移す同学園は、入学式などの会場として同会館を活用したいとしている。長峯誠市長も「公共性の高い大学施設としての活用なら市民も理解してくれる」と述べ、保存に前向きな意向を示した。

やったー!
こういうことってあるもんですね。大学の施設なら使われ方としては理想的じゃないでしょうか!

うーん嬉しい!11日どうしようかな~。

※このブログで都城市民会館にふれた記事はこちらからどうぞ




メタボザウルスは死んじゃいない(はぁ~~とかいってたら駄目やなぁ。)

9/27に解体予算が市議会を通過した都城市民会館。

その保存運動で走り回っているヒラカワさんの最新記事を読んで”はぁ~~とかいってたら駄目やねなぁ”と思いました。

この間のシンポジウムで彦坂氏の言葉に心を打たれたのも確かなのですが、実はそれよりもヒラカワさんの姿が印象的でした。

非常に厳しい現状の中、ヒラカワさんは絶えず笑顔で訴えかけていました。少し会場が重いムードになりかけていた中の最後のシメもとびきりの笑顔でした。

そんなヒラカワさんの姿を見ると、不思議と市民会館は残せるんじゃないだろうか、いや残そう!といった気持ちが沸いて来るのです。

それに比べて僕のこの前の記事はいけませんでした。ここでああいう記事を書くのは解体を認めたようなものだし、諦めムードを助長するものでしかありませんでした。言霊ではないですが、ああいうことを口に出していてはいい結果が得られるわけもありません。

ただ、これまでの体験を通して、運動は楽しくやることが必要だと考えます。そして、組織のための運動にならないように、あくまでも会館の保存が目的であり、みんなで楽しくやる運動が長続きするし、結果的によい結果をうむだろうとおもっています。

上意下達的な組織体も望みません。各人が自発的にアイデアを出し、それぞれが多彩に波状的にやる運動がベストです。そして、それぞれに協力できることをして楽しむ。ただ、好きなようにといっても、最低限のル-ルはあります。第一に、保存運動を体制批判に結び付けないということでしょう。わたしたちは市と市民の将来のために会館を保存したいと考えているわけであり、人とケンカすることが目的ではありません。第二に、人をあてにしないということです。やれることを考えて自分でやる。組織ができて、役員や幹部が決まると、なんとなく彼らがうまくリ-ドしてくれて、うまくやるだろうとまかせてしまいがちですが、そうすると、うまくいかないときに、そのことの不満を、彼らに抱くことになります。ひとの協力を求めることは重要ですが、あてにして、くだらない不満を抱くことは不幸なことです。そうなる前に、積極的に自分で動くことがいちばんです。(都城から建築をこめて『まだまだ続く市民会館』より)

ここから学べることはたくさんある気がします。

市民会館はまだ解体されていません。
最後の最後に都城はすばらしい決断をしてくれるはずです。
まだまだ市民会館は続きます。




はぁ~~~~

・「現代建築の傑作」解体へ(2007/09/28付 西日本新聞朝刊)

・都城市民会館来年1月にも解体(asahi.comマイタウン宮崎)

・市側は淡々、反対市民は落胆都城市民会館解体決まる(2007/09/28付 西日本新聞朝刊)

はぁ~~~~
やるせないです。

ハガキを出すときには一抹の期待を抱いていたのですが・・・・。

壊すのは簡単(といっても2億5千万もの費用がかかります)ですが、もう二度と取り返せません。この作品を生んだ時代の空気も二度と繰り返すことはありません。

これが都城が選んだ未来なのだとすれば、僕は二度と都城には行きたくない。

はぁ~~~~建築なんて無力だな・・・

追記)

都城市議会で、同市民会館のアスベスト除去費を含む解体費(約2億5000万円)が盛り込まれた補正予算案が賛成25、反対14の賛成多数で可決された27日、保存を訴えていた市民団体などには落胆が広がった。一方、市民アンケートなどを実施し「十分な議論を行い、費用面も考慮して最善の結論を出した」としていた市側は淡々とした表情で議場を見つめた。(2007/09/28付 西日本新聞朝刊)

賛成25、反対14ということはおよそ36%の人(といっても議員が必ずしも市民の声を代弁しているとは限りませんが)が反対をしているということだし、たった6人の人が反対に回るだけで否決されたということ。それに市民アンケートの手法自体もかなりあやしい。(詳しく知らない人はおそらく解体と答えるとような誘導的な質問内容。また、なぜそんなに解体を急ぐのだろう。)

シンポジウムに来られていた現代美術家の彦坂尚嘉氏が(ほとんど涙ながらに)都城市民会館をダビンチと同格の超一流のものであるとし、日本では<一流>のものは残されても<超一流>のものは残らない、と嘆いていらっしゃいましたが、ダビンチに匹敵するようなものの存続を議員の多数決で決めてよいのでしょうか。

(同じくシンポジウムに来られていた、DOCOMOMOJapan幹事長の兼松氏のブログでも同じようなことを言われていますが、本当に彦坂氏の言葉には心を動かされたのです。あの場に解体派の議員が一人でもいたのでしょうか・・・。まったく。)

しかし彦坂尚嘉さんの論考を聞いていて、そういう想いや思索がふっとんでしまうほど心が動かされた。
もしかしたら人類の遺産「都城」にあるダビンチを、失ってしまうのではないかという焦燥感に襲われたのだ。
彦坂さんは言う。
都城市民会館は異形という言葉では言い顕せない「超一流」。
そして若くしてなくなったロッククイーンといわれた、類型の無い、不世出のジャニス・ジョプリンに触れながら述べる彦坂さんの、涙している心をも垣間見てしまったからだ。
天才のつくった超一流を、多数決で壊していいのだろうか!

はぁ~~~~




ハガキ作戦参加望む

都城市民会館の保存に奔走されているヒラカワさんから下記のようなメールを頂きました。

9月議会に都城市民会館の解体を含む議案が上程されました。情勢はひじょうに厳しいと言わざる得ません。

つきましては、全国のみなさんから、市会議員へ保存を訴えるハガキを出そうという運動をすることにしました。

恐縮ですが、下記のリストの議員へ(できれば複数のたくさんの議員へ)、ハガキ(又は封書)を出してくださるよう希望します。

全国の市民会館関係者からの、たくさんの手紙によって、会館が残ることを念じています。

できましたら、このメ-ルを賛同いただける知り合いの方に広めていただきますと幸いです。

よろしくお願いいたします

僕なりの意見を添えてハガキを出そうかと考えていますが、賛同される方はコメントもしくはメールを下さい。

都城市民会館解体に対するそれぞれの議員の姿勢(保存派・解体派など)を記した、都城市会議員住所録をメールにてお送りいたします。(コメント時にメールアドレスを入力していただけるとそこに返信します。メールアドレスはブログ上には現れませんのでご安心を。また、9月27,28日に採決のようなので遅くとも25日までに投函お願いします。)

ヒラカワさんのブログに議員リストと議会事務局の住所が書いてありますのでそちらでも良いかと思います。

以下に、今思いつく僕なりの意見を簡単にまとめます。賛同される方、賛同されずとも市民会館保存には賛成の方は一手間をお願いいたします。

なぜ、保存を願うか。・まず単純にこの建物が僕の好みだから。・単純に簡単に壊しすぎじゃないかと思うから。(これでは文化の育つ隙がない。)・この建物がこのまちの一つの風景になっていると思うし、これからも風景であり続けられると 思うから。・まちの中から固有性だとか、場所性だとかが急速に失われていく中でこれだけの個性のものは貴重だから。(固有性がまちの最大の資源になっていくであろう中で、これを壊すのはあまりにもったいない。

このままいくとこのまちはどこにでもあるまちになってしまうし、後で後悔しても遅い。例えば宮崎県が東国原知事を 有効に使っているように(知事が自らしていることだが結果的にはそう)、有効に使えば計り知れない可能性があるし、その可能性はきっと時が経つにつれどんどん増すはず。

解体の危機から一転全国でも”先進的な事例”といえるような 方策を見つけて実行できれば、全国的に希有なポジションを獲得できるような気がするし、そういうチャンスはめったにない。)

・これから先、建築を志す多くの人に勇気や希望、感動を与え続ける事のできる貴重な資源だと思うから。

・ 子供たちの育つ環境として、こういうものも必要だと思うから。(これだけのものが身近にある子供は幸せ。逆にこういうものを目先のことだけでどんどん壊してしまうような社会で子供が育つのが怖い)

・ 目先のことだけ追い求めてきたやり方を転換し、長期的な視点を獲得するよいチャンスだと思うから。

より端的に言うと、この建物を簡単に壊すという選択をするのかどうかで、 都城が世代を超えてよい環境をつくっていくというビジョン・思想をこの先持てるかどうかが決まってしまうと思うのです。
最後にdanさんの記事から引用しておきます。

地方はやればできるし、やっていればできたはずなのである。それをやらなかったのは誰なのか。新幹線と高速道路をおらがムラに引くことばかり訴えてきたのは誰なのか。

実際はもう少し文章として練ってからハガキを送ろうかと思いますが、単純な思いで構いませんので皆さんなりの言葉でぶつけていただければと思います。

※これまでこのブログで都城市民会館にふれた記事はこちら




SA・KURA・JIMAプロジェクト

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土曜日、都城に行った後岩川の知人宅に泊めてもらい(こうちゃんありがとう!!!)今日は桜島のアートプロジェクトを見に行ってきました。

いやぁ、楽しかった。
楽しかった以上に言葉が浮かばないのですが、ほんとわくわくしましたね。
ついてそうそうデジカメのバッテリーがまたもや切れてしまったのですが、この雰囲気を記録できないのが残念で、あつかましくも受付をされてたお姉さんにデジカメを借りてマイSDカードに記録させてもらいました・・・あわてて撮ったので手ぶれしまくりですが(無理を言いましたが本当にありがとうございました。)
sakura02.jpg
この雰囲気はきっと現場でなくては伝わりません。
29日までの予定が8月5日まで延期になったそうなので是非直接体験してください。
SA・KURA・JIMAプロジェクトHPはこちら

こういう活動と都城市民会館を残したいという思いはなんとなくつながる気がします。

(ふと、地方に一定規模以上の大型店を出店する企業はバランスをとるため、こういう活動や都城市民会館などの保存に関わるコストを負担するような制度があってもいいのでは、と思いました。ふとですが。)

あと、今日は選挙にも行きましたが、なんとなく風が吹きそうな感じがありますね。
都城にも風が吹かないだろうか・・・




都城へ

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都城で『DOCOMOMOフォーラム都城』があったので妻と息子をつれて言ってきました。
内部見学を楽しみにしていたのですが、午前中に見学したようで見れずに残念。市民会館は今、工事中のような扱いでおおっぴらには公開できなかったようです。
それでも、充実の講師陣でこれほど貴重な話が聞けるとは思っていませんでした。

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講師陣は右より
■兼松紘一郎氏(建築家・東京・DOCOMOMOJapan幹事長)
■田島正陽氏(建築家・福岡・元JIA九州支部長・DOCOMOMOJapan会員)
■彦坂尚嘉氏(現代美術作家・アートスタディズディレクター)
■倉方俊輔氏(建築史家・東京理科大学、明星大学講師)
■磯達雄氏(建築ジャーナリスト・『昭和モダン建築巡礼』著者・「BankARTスクール」講師)
■五十嵐太郎氏(東北大学准教授・建築史家)

あと忘れてはならないのがこの会を主催して下さった宮崎のヒラカワさん。実は講師陣の多くは依頼があったのではなく自腹を切って自主的に来られたそう。(磯さんは僕と同じくヒラカワさんのブログを見てこられたそうです。ブログの力も侮れません。)

本当は妻にも聞いてもらいたかったのですが息子がはしゃぎ出したのですぐに外に出て子守になってしまいました。(会は盛り上がって1:30から5:00まで。すんません。子守ご苦労様でした。)

それにしてもここだけではもったいないぐらい面白く、かつ胸に届く話が聞けました。
都城市民会館が日本の高度成長時代という特異な時代に生まれたかけがえのない存在であることが良く分かったし、そうでなくても風景や記憶を形づくっているものを目先のことだけで簡単に壊してはいけないと改めて感じました。

話の内容を細かく説明はできませんが、各話で出てきたキメラ・怪獣、キャラ、乱暴な建築、41流性・超一流といった言葉のうちに共通して僕が感じ取ったのは、この建築には人間の中の野生だとか、どちらかというと自然の側に属するものが体現されているということ。

僕は1歳になった息子を連れて行ったのですが、こういう貴重な建物が壊され、街中から歴史だとか、人間の中の自然に属するものだとかが消え去り、つるっとした平和なものばかりになってしまったとしたら(かなりそうなってしまっているけど)、そういう環境の中で育つ子供たちはいったいどんな感受性を持つのだろうかと、大きな不安を感じます。

(そういった不安の裏返しが逆に実存的建築家に若い人なんかが魅力を感じる要因になっているのかもしれない。倉方さんの吉阪隆正とル・コルビュジエも読みたいと思っていたところ。何かヒントがあるかも)

今ではこの建物のような性質のもの(環境)は、特にこれからの世代にとってかなり貴重な存在であると思う。

それを壊すということは子供たちから風景や歴史や自然を奪うということになるのではないか。

この建物だけの問題ならよいが、今でも十分に様々なものを奪っている。せめてこのような建物ぐらいは残しておくという選択を大人はすべきではないだろうか。

最初の画像は磯さんのスライドよりアノ人と都城市民会館のコラージュ(?)。けっこうこの建物の重要性をあらわしているように思います。また、この講演をテープお越ししたものができれば下さいとお願いしてきました。もし、公開しても良いという返事が貰えたらここでも紹介したいと思います。やっぱり多くの人に聴いてもらわないともったいないし、そうでないとこのイベントの意義が薄れてしまいます。あと、その後の懇親会にいけなかったのが残念。その後の予定をいれてました・・・。




DOCOMOMOフォーラム都城

docomomofr.jpg
何度かお伝えした事のある都城市民会館ですがDOCOMOMOに選定されたのを機にシンポジウムが開かれるようです。

基調講話をDOCOMOMO幹事長の兼松さんが、特別ゲストとして、田島さん(建築家・前JIA九州支部長)、磯達雄さん(建築ジャ-ナリスト・「昭和モダン建築巡礼」著者)、五十嵐太郎さん(東北大学准教授・気鋭の論客である建築史家)、倉方俊輔さん(新進気鋭の建築史家・東京理科大学、明星大学講師)などが参加してくれる予定です。((都城から建築をこめて)より)

会館の見学会も予定されているようです。(そうならないことを祈りますが場合によっては内部が見られる最後の機会になるかもしれません。)
感心のある方は参加してみては。

追記.内部見学については市側と交渉中のようです。




可能性が!

コメントを頂いて知ったのですが、都城市民会館存続の可能性が見えてきたようです。

こちらで詳しく書かれていますが、本当に嬉しいですね。
これも東国原効果でしょうか。
まだ決まったわけではないでしょうから、皆さんも存続ムードを高めましょう!




W026『日南市文化センター』


□所在地:宮崎県日南市中央通1-1-7
□設計:丹下健三+都市・建築設計研究所
□用途:多目的ホール
□竣工年:1962年

丹下健三1962年の作。
大胆な構成。

隣の公園にシートをひいて息子に離乳食を食べさせていると、陽気なおじさん、おばさんが話しかけてきてくれました。
真偽の程はわかりませんが、この建物は鬼の洗濯岩の形から来ていること。若かりし頃、この建物でブラスバンドの演奏などをした思い出があること、などを話してくれました。
なんか宮崎にはフレンドリーな人が多い気がしました。このおばさんも虎翔に何度もキスをしていたし、後から来た86歳のおじいさんは元気さをアピールしようとして虎翔を抱えて走り出すし・・・

都城市民会館のように安易に取り壊されないことを祈ります。(※都城市民会館は解体決定から一転して存続が決まりました!)

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B087 『昭和モダン建築巡礼 西日本編』




日系アーキテクチュアの連載をまとめたもの。
戦後の1945から1975年に建てられたモダニズム建築を西から順にレポートしていくのだが、スタートは宮崎の都城市民会館で鹿児島ではなかったのが残念。

最近妙にこの頃の建築に魅力を感じるのだけれどもなぜだろうか。
モダニズムを軸に建築に夢と希望と野心があった時代だからかもしれないが、建築が建築として生きている感じがする。
なんというか表情を持っているというか色気があるのだ。

今ではモダニズムっぽい建築は真似をすれば誰でもできるように思う。
ところが、数あるモダニズム(っぽい)建築のなかでもそのなかに色気を感じるもの、建築として生きている感じがするものといえば極端に数は絞られてくるし、それができる人はなかなかいない。

そもそもモダニズム自体が人間臭さを伴ったものだと思うのだがそのあたりをすっとばかした建築はやっぱり何かが足りないように思う。

建築であることの強さをもっと信じたっていいんじゃないだろうか、と割と素直に思えるようなそんな本でした。

あー、僕も巡礼したい。