1

B130 『愛と哀しみのル・コルビュジェ』

aitokanasimi.jpg市川 智子 (著)

彰国社 (2007/09)


モチベーションをあげるにはコルに限る!っということで、今年の初めの気合入れに本屋で買ってきました。

aitokanasimi2.JPGあのコルビュジェに『おそよう』と言わせるあたり、著者のコルに対する並々ならぬ愛を感じます。
さて、この本から感じたこと。

(この本を買うきっかけにもなった)倉方さんの著作『吉阪隆正とル・コルビュジエ』のところで”多面的なものを引き受け決定する勇気と強さ”ということを書きましたが、まさにそれが『愛と哀しみ』だなぁと思いました。

決定するには建築や人間に対する愛が必要ですが、 決定してしまうことにはその愛の大きさに比例する哀しみがついてまわるんじゃないでしょうか。

そして、その愛と哀しみを引き受けるだけの勇気や強さを兼ね備えた人だけが価値のある決定を下すことができるし、それを体現したのがコルではないかと。

だから、著者がコルの言葉の表面だけが一人歩きしている「哀しみ」を語っているのもよく分かりますし、(著者を含め)多くの人に勇気や強さを分け与え続けているのもまた事実でしょう。

僕もまたコルに勇気を分けてもらいました。

(遅いですが)今年もがんばりましょー!

追伸
(この本を買うきっかけにもなった)と書きましたが、倉方さんのブログのコメント欄の著者のやり取りが興味深かったので読みたいなぁと思っていたところでした。




B043 『ル・コルビュジェの建築-その形態分析』

ジョフリー・H. ベイカー
鹿島出版会(1991/05)

タイトルの通り、コルビュジェの形態分析。
原著の初版は1984年であるからもう20年以上も前のものである。
僕は学生のときに買った。

分かりやすい魅力的なイラストで、構成の手法や形態のもつ力の流れなんかがよく読み取れる。
今見ても十分楽しい。

その楽しさは著者の力量もあるが、コルビュジェの建物のもつ魅力から来るものだろう。

近代建築の克服・批判という文脈のなかでコル批判がきかれることもあるが、やっぱりコルビュジェは魅力的。
しかし、近代建築が広まる過程でコルビュジェのもつ人間臭い部分は漂白されて都合の良い合理性だけが受け継がれている。

コルの発明はやっぱりコルの発明であって、自らの匂いを嗅ぎ取らないことには自ら人間味のあるものはつくることはできないと思う。そういう過程を抜き去ってしまっていて、コルを批判は出来ない。

ビートルズを聴くとコルビュジェとダブるときが良くある。
ロックやモダニズムのほとんどのことを彼ら天才がやり尽くしてしまって、その後のものはすべて彼らのオルタナティブでしかないように思ってしまう。
そして、その本家のもつ強さを超えることはなかなか難しい。

モダニズムという枠の中にいる限り乗り越えることはほとんど不可能のようにも思えるし、「乗り越える必要があるか」、という問いも含め「どう乗り越えるか」というのを、建築の世界ではずっとやってきていまだに答えが見えていないように思う。

それは、おそらく問いのたて方に問題がある。
「乗り越える」という意識はおそらく無意味なのである。
「コルがコルであった」という事実を他人が乗り越えられるわけがない。

僕も恐れ多くもコルビュジェを乗り越えようなんて思わない。(そんな才能もない。)
しかし、コルのように人間味を帯びたものをつくりたい、とは思う。

コルビュジェは誰よりも純粋で正直であったのではないだろうか。

それが、もっとも難しいことだと思うが、自分に正直になる以外には、やはりものはつくれない。

音楽でもビートルズを超えたかどうかが問題ではなく、その人の正直さが現れたときにはじめて人の心を打つのである。




建築を遊ぶために B268『意味がない無意味』(千葉雅也)

千葉雅也 (著)
河出書房新社 (2018/10/26)

オノケン│太田則宏建築事務所 » 関係性と自立性の重なりに向けて B267『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』(グレアム ハーマン)

また、本書とは別に、先の10+1で挙げられたいた、千葉氏の『意味がない無意味』は読んでみる価値がありそうだ。 オブジェクトが自立的であることの空間的意義あるいは存在としての意義が、身体と行為との関連から見えてきそうな予感がするし、ここ数年でぼんやりと掴みかけているイメージをクリアにしてくれそうな予感がする。

前回読んだ『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』に関連して購入したものだけれども、読み始めてから読み終わるまでだいぶ時間が経ってしまった。
読みはじめの頃は何かを掴みかけていたけれども、それがぼんやりとしか思い出せないので、書きながら思い出していきたい。

まず、下記の部分は撤回が必要かもしれない。
オノケン│太田則宏建築事務所 » 関係性と自立性の重なりに向けて B267『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』(グレアム ハーマン)

実際のところ、唯物論的な見方、経験論的なあるいは現象学的な見方、どれが正解であるか、ということにはあまり関心がなく、それぞれそういう見方もできるだろうと思う。自分にとって重要なのは、それによって世界の見え方をどのように変えてくれるか、あわよくば、建築に対するイメージを更新してくれるか、ということに尽きる。

『意味がない無意味』の「はじめに」で著者が書いているように、私にとっての著者の魅力は抽象的な概念と具体的なものの間を行き来することの大切さ・面白さを体現してくれているその姿勢にある。

世界をどのように捉えるかの存在論は抽象的な言葉遊びというよりは、どのような姿勢で世界に存在し、どのように思考し行為するか、という根本的なあり方そのものを問うていて、具体的なものとは切り離せないのではないか。というようなことを著者は感じさせてくれる。

そういう意味では、先の文章は抽象的な思考に対するイメージが先行しすぎていたかもしれない。

「意味がない無意味」に何を掴みかけていたか

さて、「意味がない無意味」は無限に多義的な「意味のある無意味」、ブラックホールのような穴に対して、穴を塞ぎ有限性を身にまとうための石である。(表現として的確ではない言葉があるかもしれないけれども、断定的には書いていきます。)
「意味がない無意味」、穴を塞ぐ石としての身体が、意味を有限化し行為を実現する。

その「意味がない無意味」に何を掴みかけていたのか。

今年の指針は「遊ぶように生き、遊ぶようにつくる」とし、山間の中古住宅を購入し、馬屋を改装し、事務所を移転したが、そのことと関係がありそうだ、と感じたのは間違いない。

遊ぶということは、ある部分での解像度を高めつつ、世界とのキャッチボールをしながら探索と行為のサイクルを回していくことである。
それは、目の前の有限的で具体的なものとまさに遊ぶように向き合うことで、解像度を高めつつ染み出してくる有限性もしくは偶然性そのものを楽しむことであり、そこにはある種の快楽がある。
そして、それは無限の穴にハマルことなく世界と向き合うことを可能としてくれる。

自分の子供たちもそうだが、今は、そういう風に世界と向き合うことの経験が圧倒的に足りていない、と感じる。
あらゆるものがお膳立てされ、低解像度のまま生きていくことのできる世界で生かされ、唐突に世界へと放り出されても、穴に落ちずに生きるすべを知らずに、場合によっては一つの解釈xにしがみつくしかなくなる。

そういった生き方もありかもしれないけれども、そこでは想像力はむしろ穴へと続くものになり、おそらく生きていく足かせとなるだろうし、具体的なものとの接点を持たない想像力はおそらく世界を好転させず、世界の豊かさにふれる機会も貧しくする。

「意味がない無意味」の権利を認めること。
それは、今を生きる人の一つの作法となりうるように思うし、そうでなければ酷くつまらない世界、もしくは空気になってしまいそうだ。
(著者は、そういう空気に対して敏感で、かつ向き合うすべを開拓しているように思う)

「意味がない無意味」と「決定する勇気」

建築について。

自分は、関係性を開き、多様で多義的であることを受け入れるような建築を目指そうとしていると思っていたが、少しぼんやりしていたかもしれない。

関係性や多様なものに開くと行っても、無限に多義的なブラックホールに向かうのではなく、むしろ、いかにそれらを切り取り、有限化していくか、ということが重要だろう。

もちろん、ファルス的な単一のオブジェクトを目指しているのではないし、無限に関係性に溶けていくようなものを目指しているのでもない。

ここで『吉阪隆正とル・コルビュジエ』を読んだときの感覚を思い出す。
オノケン│太田則宏建築事務所 » B120 『吉阪隆正とル・コルビュジエ』

まず、吉阪がコルから受け取った一番のものは「決定する勇気」であり、そこに吉阪は「惚れ込んだ」ようである。
『彼の「決定する勇気」は、形態や行動の振幅を超えて一貫している。世界を自らが解釈し、あるべき姿を提案しようとした。あくまで、強く、人間的な姿勢は、多くの才能を引きつけ、多様に受け継がれていった。』
『吉阪の人生に一貫するのは、<あれかこれか>ではなく<あれもこれも>という姿勢である。ル・コルビュジェから学んだのは、その<あれ>や<これ>を、一つの<形>として示すという決断だった。』
多面性を引き受けることはおそらく決定の困難さを引き受けることでもあるだろう。

まず、吉阪がコルから受け取った一番のものは「決定する勇気」であり、そこに吉阪は「惚れ込んだ」ようである。 彼の「決定する勇気」は、形態や行動の振幅を超えて一貫している。世界を自らが解釈し、あるべき姿を提案しようとした。あくまで、強く、人間的な姿勢は、多くの才能を引きつけ、多様に受け継がれていった。 吉阪の人生に一貫するのは、<あれかこれか>ではなく<あれもこれも>という姿勢である。ル・コルビュジェから学んだのは、その<あれ>や<これ>を、一つの<形>として示すという決断だった。 多面性を引き受けることはおそらく決定の困難さを引き受けることでもあるだろう。

吉阪の魅力は、(機能主義、「はたらき」、丹下健三に対して)それと対照的なところにある。むしろ「あそび」の形容がふさわしい。視点の転換、発見、機能の複合。そして、楽しさ。時代性と同時に、無時代性がある。吉阪は、未来も遊びのように楽しんでいる。彼にとって、建築は「あそび」だった。「あそび」とは、新しいものを追い求めながらも、それを<必然>や<使命>に還元しないという強い決意だった。

自分がコルや吉阪に惹かれるのは、こういう遊びを決定へとつなげる勇気に対してだと思うが、それが簡単ではないことも分かる。

<必然>や<使命>に還元せずに、建築を建築足らしめるには、おそらく本気で遊び、解像度と密度を高めていくこと以外にないし、失敗すれば単なる趣味の世界のおままごとに終わる。

自分はまだ本気では遊べていないし、解像度も決して高くはない。

果たして自分にできるだろうか・・・ もっと学び遊ぶしかないな。




 二-四 自然―抽出と再構成

自然の再構成

光や雨・風・熱・緑・その他自然の要素はそれ自体が生きていくために必要な情報に満ちていて、意味や価値で溢れている。

まず単純に、人は建築で自然と出会う。おそらくそこでは、根源的な悦びややすらぎ、あるいは親しみのような何かと出会っている。

それに加えて、自然との出会いに感じる「何か」を観察し、その特質を抽出・再構成することで、その「何か」との出会いを建築として再現したようなものがある。

例えば、比例などによるプロポーションや、1/fゆらぎのリズムによる配置、あるいはフラクタルな構成など。

後期のコルビュジェはモデュロールによってより自由に振る舞えるようになったそうだけど、それは「何か」と出会うきっかけがモデュロールによって既に埋め込まれているからかもしれない。

また、まちの中には自然そのものの他にも、これまでの歴史の中で埋め込まれてきた自然性のようなものがたくさんあり、それによって悦びや、やすらぎ、親しみと言ったものが得られているのかもしれない。(ここでも、もしそれらがなかったら、と想像してみると良いと思う。)

人は建築で、自然そのもの、または再構成された自然と出会う。




何が建築を規定しているかを知ることを足がかりに考え続ける B219『 建築の条件(「建築」なきあとの建築)』(坂牛卓)

坂牛卓 (著)
LIXIL出版 (2017/6/22)

自由になるための道具

だいぶ前に一度読んでいたのだけど、何かピンと来てなくてなかなか書き出せなかった本。

なぜピンと来なかったのか。まずはそこから考えてみたいと思う。

はじめに、『建築の条件』というタイトルを見て、建築であるための条件は何か、を期待して購入したのだけれども、そうではなく、書かれていたのは建築を規定しているものは何か、であった
どちらかと言うと、建築を規定しているものから少しでも自由になりたい、という思いが強かったので、建築を規定しているものそのものにはさほど惹きつけられなかった。

そんな感じで読んだので前に読んだときには書きだせなかった。しかし「作品の分析には使えても果たしてつくる側の論理になるのだろうか。」「無意識に規定してしまっているものを意識の俎上に載せることの意味は何だろうか。」そんなことを考えているうちにようやくこの本の意味に気づいた気がする、

おそらく「建築を規定しているものから少しでも自由になりたい」というのは間違いではない。むしろそこから自由になるためにこそ建築を規定しているものが何かを知るべきである。
この本は自分を無意識に規定しているものに気づき自己批判をするためのもの、いわば自由になるための道具なのだ。ここに直接的な答えが書いているわけではない

そう考えると終章の言葉がやっと頭に入ってきた。

しかし異なるのは、メタ建築が重奏する思考の上に成立し、「条件」を捨象するための戦いを通して生み出されていたのに対し、現在のスペクタクルはグローバリゼーションやネオリベラリズムの求めるものとして現れている点である。(p.297)

状況が要請する、あるいは与えるものを無批判に受け取るところに次へのステップはない。教科書通りの答えが明日をつくることはありえない。(p.298)

なるほど、もしかしたら購入前に期待していた「建築(であるため)の条件」の一つは「建築(を規定しているところ)の条件」に対する批判的眼差しの存在なのかも知れない。

「建築」なきあとの建築?

ただ、再度序章と終章をつまみ読みした今の時点で、まだ疑問に思うことが一つある。

そして失われた「建築」を再度つくり直すことが、われわれに求められている。(p.300)

求められていることが「建築」を再度つくり直すことだとするならば、それは『「建築」なきあとの建築』ではないのではないか。
「建築」なきあとの建築は「建築」であるための倫理、すなわち、批判的な視点を持ちそこにある倫理を乗り越え刷新するもの、という倫理そのものを乗り越えた先にあるのではないか

それは以前感じた、まだ答えのない疑問でもある。

いろいろな疑問が頭に浮かんでくるが、ここでふと、この疑問の形式自体が近代の枠組みに囚われているのではないか、と思えてきた。(鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B213 『人の集まり方をデザインする』)

もしかしたら、その問いに対するヒントは本書の中に隠されているのかも知れないけれども、それは今分からない。

兎にも角にも、この本を自己批判のための道具として使うべく、ここに書かれている9つのテーマについて、再度読みすすめてみたい。

前置きが長くなったが、以後、各項目について、個人的に感じたことを思いつきも含めて簡単に書いていきたい。
 


 

・人間に内在する問題

1.男女性

この章では性が生物学的に、また社会学的に建築に影響を及ぼしてきた経緯が語られるが、自分自身は表現として性別を意識したことは殆どないと思う。
しかし、計画の際に与件として受け取ったり影響を受けていることは無数にある。
例えば、異性同士のお子さんがいるかどうかでプライバシーの配慮の程度が違うし、小さなお子さんの性別で耐久性などの程度も変わってくる場合がある。
キッチンに男性が立つかどうか、や皆で料理をすることがあるかどうかでキッチンのスペースも変わってくるし、共働きの場合は家事のリズムや必要なスペースも当然変わってくる。
そういった条件の変化にはジェンダーに対する考え方の変化などが大きく影響するが、もっと意識的にその先のイメージを考え、提案していってもよいのかもしれない。

性差については

『キレる女懲りない男―男と女の脳科学』
黒川 伊保子 (著)
筑摩書房 (2012/12/1)

を読んでつぶやいた時のツイートを思い出す。

鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » tweet 11/23-05/16

最近プライベート的必要に駆られて男と女の脳科学な本を読んだ。生物学的な役割から脳の機能が異なるのは理解できるし、普段はこの手の本は毛嫌いしてるんだけど、まーわりと面白かった。

男性脳は右脳と左脳をつなぐ脳梁が細くなってしまってるので理論化しないと感覚と言葉を結び付けられないし、目の前のことに疎い。でもその分、遠くが見える。

女性脳は脳梁が太く感覚と言葉が直結してて、ややこしいことは考えずにひたすらおしゃべりを繰り返して感覚をキーとしたデータベースを強化し続けてる。それは子育てという観察をベースとした瞬間的な判断を絶えず強いられるから。

もともと機能・特性が違うのでお互いになかなか理解できない。それを前提とすれば、理解できないお互いの言動も愛で合うことができるのでは。みたいな話。早速、実践してみるべ、と思ってもまー簡単じゃないよね。

で、身の周りでも女性脳的なおしゃべり=価値観共有的なものがリアリティや動かす力を持ちだしてる気がするし、その脇で建築が変わってきた、むしろ建築みたいな概念邪魔じゃね。みたいな流れもある気がする。

そのベースに女性脳的な直感がある気がするんだけど、そこからは「僕(われわれ)のリアリティ(byM氏)」から遠くへはなかなか行けない。行けないというかそもそもそこを目指していない。(遠くへ行くヒントは満載かもしれないけど。)

でも、時間的・空間的・概念的に遠くへ行くことこそが建築という言葉に込められていたのだと思うし、建築の役割・可能性であったと思う。そうであるなら、そこへの意志のないものは建築ではなく建物でいいんじゃね。と思う。否定的な意味でなく。

『建築の条件』のこの章でも日本的かわいいについての言及があったが、そのコミュニケーション的側面、『女性脳的なおしゃべり=価値観共有的なもの』のが強くなっているのはすごく感じる。
SNS的な共感の集め方や、共感のノリでものごとが進んだり、例えばインスタでの共感が計画イメージのもとになったりすることが身の回りでも多くなってきている。(共感されるものはポジティブなものとネガティブなものとが、ともに増えている感覚がある。)

そう考えると女性性優位の時代、もしくは建物の時代、のように思うけれども、それに対してバランスをとるためのカウンターとして、男性性・建築性がより重要になってくるのでは、と思うあたり、おそらく自分は男性側に寄ってしまっているんだろうなと思う。(自分にこそカウンターバランスが必要かもしれない)
もしくは、価値観共有的なノリの社会に享楽的こだわりを持って向かうような、千葉雅也的な戦略を持つべきかもしれない。

2.視覚性

ここでは、ゲシュタルトが瞬時に把握されるようなモダニズムの視覚性が、時間軸を持った視覚性へ、視覚への不信が空間の消去へ、形象から表面物質へ、といった変化が語られる。

自分を振り返るとコルビュジェの映画的な視覚性から、ヘルツォーク&ド・ムーロンの物質性を憧れとしては通過しているけれども、形象や物質そのものというよりは体験として、もしくは生態学的な探索行為の対象として捉えたいという気持ちが強いかも知れない。それは、探索行為の結果、豊かな空間の中に自らをポジショニングするようなイメージである。
形象を求めてエレベーションをひたすらスケッチしたり、素材・物質を全面に出すような粘り強い検討よりも、PC上に3Dを立ち上げて、変更を加えてはウォークスルーで見え方を動的に検討するということをひたすら繰り返すような検討のウェイトが大きいように思う。コルビュジェ的な視覚性を求めているとも言えるが、むしろ、様々なものが様々な座標に分散しつつバランスが取れているような(アアルト的?)視覚性により興味がある
それは形象も物質性もどちらもあるが、どれか一点に集中するのではなく、それらがネットワーク的な複雑さの中に配置されるようなイメージが強い。
と、同時にそのためには形象や物質性を扱う技量がより必要になってくると思うけれども、全然足りていない、と日々痛感するところである。

3.主体性

つまり主体はその力も地位も失い、挙句に退場したのではない。そうではなく、主体はむしろ他者を包含することでより豊かで可能性のある「幅のある主体」に変容した。(p.83)

ここでは作家的とも言える主体性がやがて勢力を弱めつつも、コンピューターも含めた他者性を招来していく変化が語られる。

自分は設計において他者性を呼び込むことはとても重要だと考えつつも、コルビュジェのような作家的主体性に、未だ人間臭さを伴う固有性を生みだす可能性を感じている

どういうことか。

主体と他者の関係を考えたときに、他者から与えられたものを主体が受け取るという受動的な関係もあるが、そうではなく、他者を意味や価値が見出される環境として捉え、主体はその環境(他者)を探索し、取り込むという能動的な関係が重要だと考えるが、そこには生態学的な態度と意味や価値との出会いがある。

建築に関して他者と出会う主体は、設計者と利用者の2つが考えられる。
主体としての設計者は様々な他者を探索し、意味と価値を取り出して設計を調整する、というサイクルを繰り返す。そこではどんな他者と出会うかによって設計の密度が変わってくるし、密度を上げるためにどういった他者をどうやって招来するか、というのが設計行為における重要な命題となる。コンピューターの例や集合知の試み、観察や出来事といったことはその命題に対する応答とも言える。

主体としての利用者は建築を通して様々な他者・意味と価値に出会う。ここで利用者が設計者の作家的な主体性に出会ったとすると、それは利用者にとっては他者との出会いの一つである。であるならば、設計者も自らの作家的主体性を設計行為における環境・他者の一つとして扱ってしまえば良いのではないだろうか。
そうすれば、作家的主体性か他者か、というような二項対立はなくなり、さまざまな他者からどれをどの程度設計に反映させるかという程度・配分の問題とすることができる

それを突き詰めていけば何でもあり(全てが他者・環境)、になってしまうようにも思うが、何でもありを一旦受け入れることが、ポストモダンでの常套手段である。それを受け入れてなお、かたちへ導く方法を模索しなければならない。

4.倫理性

ここでいう倫理性は設計の側に内在する規範性のようなもので時代や受けた教育などで変わってくることも多い。

そういう規範を解体することが次の世代の規範になったりするけれども、何か規範というものに踊らされている気がしないでもない。 従うにしろ、解体するにせよ、人は何かしら規範のようなガイドになるものを求めてしまうのかもしれない。(規範。|オノケン(太田則宏)|note)

先に書いたように『設計という行為は、つねにハビトゥスの見直しを自らに問いながら行う行為である。』というものもハビトゥスの一つであり、見直しを問うべき姿勢は必要なように思う。(このハビトゥスに縛られているがゆえに、いろいろなものが見捨てられていて建築として成立していないのでは、というのもよくある。それもハビトゥスの違いと言われればそうなので難しいところだけれども。)

ところで、自分は倫理をどのように捉えているだろうか。
鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B186 『知の生態学的転回3 倫理: 人類のアフォーダンス』

ここでウェザー・ワールドにおける倫理的命題は、「本人が自己維持のためのレジリエンスを持ちうるような一群のケイパビリティを形成すること」である。
これを生態学的に言い換えると、「環境にその人の生活の維持を可能にするさまざまなアフォーダンスを作り出し、その人がそれを知覚して、利用できるようにすること」となる。
ここでの自己維持は本人によって積極的・創造的に行われることであって、ここで生態学的な人と環境とのダイナミズムが生きてくる。 要するに、どうなるかわからない世界で本人が生きていくために、能動的に関われる可能性を多様に用意してあげることが倫理である、ということだろう。

ギブソンは決して倫理や道徳について多くを語らなかったが、彼の描く肯定的世界観はそれ自体、特定の価値判断を前提としている意味で倫理的といえるだろう。だからこそ、このポジティブなギブソン的世界を「正しい」と認めることは、とりわけ科学者と同じ視点からその理論的妥当性を検証し得ない者にとって、実証的科学的判断というよりも、むしろ「そのように世界をみなすべし」という倫理的決断だとさえ言える。このように私たちが日常生活において無意識に前提としていた肯定的世界観に言葉を与え、環境のうちに意味を探索しながら行為を組織する喜びを鮮やかに描き出した点にこそ、ギブソンやエドワード・リードの著作が、自然科学の枠を超えた古典たりうる理由があるはずだ。(柳沢)終章

さらに、知覚の公共性は人と人や社会とのつながりを基礎とする自己感、自己のリアリティのようなものを醸成する基盤でもある。これに対し建築は継続的に存在しうるものであるため、知覚を媒介する大きな役割を担っているといえる。それは建築が倫理的でありうる存在であり、大きな責任を負っている事を示している。(鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » Deliciousness / Encounters)

なぜ、知覚なのか。それは、知覚の基礎性、直接性、公共性が、人間の悦びや生きることのリアリティ、社会や文化といったものに建築がアプローチするための足がかりを与えるからであり、そこに意味や価値、倫理といった建築することに対する肯定的意味が見出だせるからである。

『そこにどんな出会いがあり、何が得られるか、がその建築の意味と価値である』とした時に、建築が多様な出会いの可能性を保証することが建築における倫理だと捉えている。これは新築に限らず既にそこにある建物にも言える。
これはその時代、その人によって変わってくる規範意識よりはもう少し大きな枠組みでの話かもしれない。例え、ハビトゥスを更新するような小さな行為に見えても、そこに新たな出会いの質が生まれず、むしろ出会いの可能性を破壊しているようであれば倫理的行為だとはみなせない。(そうであれば、ハビトゥスの更新も失敗に終わっているということかもしれない。)


 

・人間に外在する問題

5.消費性

大衆消費社会が建築に与えた影響は、商品化された大量生産住宅の増加、およびデザインの消費という二点に絞られ、後者は一品生産のオートクチュール建築に置いてもその影響を及ぼした。(p.160)

消費についてモノの消費とイメージの消費があるとすると、モノの消費に関してはそれほど意識しているわけではない。プロジェクトやクライアントごとの性格や予算によってある程度の方向性は決まってくるように思うし、その部分にアプローチをするとすれば設計の段階より源流にアプローチする必要があるだろう。固有性という点では大量生産大量消費では限界があると思っているが、与えられた条件の中でどのような可能性を見出していくか、というのは設計者に与えられた役割だと思っている。もちろん、設計者の役割を拡張して、消費性の源流にアプローチすることができれば好ましいし、そのような動きは随所で見られる。今はできる範囲で対応することしか出来ていないが、その先は今後の課題である。

より危機感を持っているのはイメージの消費の方である
正直、モノにしろイメージにしろ、消費そのものはネガティブなイメージだけではなく、サイクルをまわして活力を与えるようなポジティブなイメージも持つようになってきた。先のハビトゥスの更新なども、倫理を消費していると言えなくもないが、それが社会に活力を与えてきたとも言える。

なので、イメージの消費にポジティブなイメージがないわけではない。ただ、その消費のサイクルにただ巻き込まれるだけでは消耗するだけで、自分の存在価値が損なわれてしまうし、新たな出会いを生むことも難しい。そうならないためにはイメージの消費とどう距離をとるか、という戦略がおそらく必要になってくるように思う
そうやって、イメージの消費からある程度自立できて初めて、新たな出会いの可能性に向き合うことができると思うし、モノの消費の源流にアプローチすることにも連続性が生まれてくるように思う。

やはり、消費性から自由になるにはどうすれば良いか。具体的な戦略が必要だ。

6.階級性

格差社会もしくは平準化社会と疲弊社会。

鹿児島市は平地が少なく、利便性の高いエリアは鹿児島市電が走る線状の地域に集中しているため、収入に対する土地の価格は高く、

(1)利便性の高いエリアにそれなりの土地を買って建物をかなりローコストにするか、
(2)利便性の高いエリアに小さな土地を買って狭小住宅を工夫して建てるか、
(3)利便性の高いエリアから離れ、安い土地を買ってそれなりの建物をたてるか、

というような選択を迫られることが多い。
(1)でローコストで建てるには限界があるため、予算が限られている場合は必然的に(2)か(3)という選択肢の可能性が高くなる。
そのような中、自邸兼事務所は(2)の可能性を提示するために計画したもので、約20坪の土地に約20坪(+ロフト+床下収納)の建物を建てた。土地・建物ともに1100万円前後であるので、立地を考えるとコストをかなり抑えたほうだと思う。(建物は自主施工あり)
その後、14坪弱の敷地での計画も経験したが、いわゆる富裕層ではないところでの建築の可能性を考えると、かなり思い切った優先順位の付け方をしないと成立が難しいし、その思い切りが良い家をつくるための条件のようにも思う。
建築費は年々上がっているため、なおさら思い切りが求められるようになってきているが、その中でなんとか成立するためのバランスを見極めることが我々の仕事とも言える。(その難易度も年々上がっている。)また、そのために奮闘することが生活の場から固有性、出会いの可能性を守ることに繋がると願いたいし、そのような場から建築がたちあがる可能性に対して誠実に向き合っていければと思う

達成型社会は個を孤立させ、よって社会も疲弊する。そこから抜け出る可能性の一つは、社会の無意識のなかで駆動する生産性を克服するために、何かをしない見ない能力を向上させることではないかとハンは主張する。

宮台真司が『地上90cmの目指し』と呼ぶように、地べたに座り込む行為はそういった機能による拘束から開放されようとする行為であり、僕はそれに対し「だらしない」と思うよりは同情するのである。(鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B014 『原っぱと遊園地 -建築にとってその場の質とは何か』)

屋外を含めあらゆる場所に機能が割り当てられた街は息が詰まる。
先日閉店していた店舗をマルヤガーデンズとして再建した玉川さんが亡くなった。そのマルヤガーデンズはまちなかの百貨店でありながら、一息付ける場所になっていることをある方は「無目的でも行ける場っていうのが良いんでしょうね。」とつぶやいていた。自分もそう思うし、天文館に行くとつい本屋によって屋上に行ってしまう。
そういう隙間をつくることに建築設計はアプローチできる可能性を持っている

例えば、長谷川豪が家の中に都市的もしくは非日常的なスケールを持ち込むことで、どこにも属さないような不思議な場を生み出しているように、空間的な操作で、機能を押し付けてきたり、達成を押し付けてくるような場から逃れてそれとはぜんぜん違うものと出会うことをサポートするような質を備えることができるのではと思う。

階級性(格差社会もしくは平準化社会と疲弊社会)から自由になるにはどうすればいいか。
階級性が強要してくるような価値の軸自体を異なる価値の軸へと転換するようなずらしの作法が必要なのかもしれない。

7.グローバリゼーション

いずれにせよ、ぼくたちはいま、個人から国民へ、そして世界市民へと言う普遍主義のプログラムを奪われたまま、自由だが孤独な誇りなき個人(動物)として生きるか、仲間はいて誇りもあるが結局は国家に仕える国民(人間)として生きるか、そのどちらかしか選択肢がない時代に足を踏み入れつつある。帝国の体制と国民国家の体制、グローバリズムの層とナショナリズムの層が共存する世界とは、つまりは普遍的な世界市民への道が閉ざされた世界ということだ。(p.154)(鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B216 『ゲンロン0 観光客の哲学』)

東浩紀は否定神学的マルチチュードの弱点(戦略性のなさ)を克服するものとして郵便的マルチチュード(としての観光客)を提出するが、それはグローバリズムとナショナリズムの中間というよりは、その両者を「ふまじめに」見物してまわるような存在(のよう)である。

グローバリゼーションから自由になるにはどうすればいいか
それはこの「ふまじめ」さの中にヒントがあるような気がしているけれども、まだうまく消化できていない。
学生の頃に表層の戯れとしか見れなかった、狭義の建築的ポストモダニズムとどう違うのか。おそらくパッチワーク的な引用のイメージではなく、オーバーラップによる共存のイメージの先に何かがありそうな気がしている
例えば、東浩紀が引き合いに出したネットーワーク理論の生成過程と設計プロセスを重ね合わせることによって、そのイメージに近づくことはできないだろうか。

設計プロセスを、ネットワークを編み込んでいく連続的な生成過程と捉えると、藤村氏の言う「ジャンプしない、枝分かれしない、後戻りしない」という原則も理に適っている。 また、「つなぎかえ」「近道」「成長」「優先的選択」といった操作は東氏の言う「誤配」の意味や元のネットワークモデルがランダム性によって生成されることを考えると、操作に含まれる選択には特段根拠はなくても良いのかも知れないし、意外なところ(より距離の大きいところ)とのつながりの方が効果的であるかも知れない。この辺はもう少し考えてみたい。(鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B218 『ネットワーク科学』)

ここで、先にオーバーラップによる共存のイメージと書いたことに対して『公共空間の政治理論』での議論を思い出した。
鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B207 『公共空間の政治理論』

公共空間になりうる分離された空間のあいだの捉え方には二つの見方がある。
一つはあいだを、部分相互の関係を分断するもの、と捉える見方で、これが公共空間となるには、部分相互の交渉のために空間となる必要がある、と見る(分断)
もう一つはあいだを、取り残された余地、と捉える見方で、これが公共空間となるには、内部ならざる空間を開くための余白となる必要がある、と見る(隙間)

ここで、分離に対して重合の施策は、有効性が限られるばかりでなくこの構造を隠蔽してしまうために適切ではない。これに対し、ルフェーブルは分離の形態ではなくプロセス・はたらきを問題視すべきであり、計画化された秩序の裂け目こそが、支配的な空間秩序に変わる空間形成の拠点と成り得るとする。
限定ではなく途上、静態的ではなく現動態的・潜勢的である空間、「他なる空間」がさまざまな事物や人を集め出会わせていく力の中心的なものと成り得る。

先のゲンロンの観光客を重ねるならば、観光客が分離されたものを重合(オーバーラップ)するとみるのではなく、取り残された余地に他なる空間を生じさせる動的な存在として捉えた方が良いのかもしれない。プロセス・はたらきこそが重要であるというのは先の設計プロセスをネットワークを編み込んでいく連続的な生成過程と捉える考え方と相性が良いように思う。プロセス・はたらきを形の問題へとどうつなげていくか。その先に新しい建築の可能性が開かれている。

8.アート

ここではアートと建築の関係、接近による功罪などが語られる。

自分ではアートをタイムリーに追いかけて建築との関係性を考える、という作業をあまりしてきていない(たまに気になることがあれば雑誌などを読む程度)けれども、同じように現代に向き合っている存在であると捉えれば、お互いに影響を与え合うということは当然ありそうである。
単純に並走しているというよりは、建築は具体的な目的や機能のためにつくられる分、アートの方が純粋に現代に向き合い問題を抽出しやすい反面、建築の方が具体的に人々と関わる機会が多く影響を与えやすい、というようなお互いに補い合うような関係と考えても良いのかもしれない。

僕は、アートといいうものがうまく掴めず、少なくとも建築を考える上では結構距離を置いていたのですが、アートを「既知の中の未知を顕在化し、アフォーダンス的(身体的)リアリティを生み出すこと」と捉えると、建築を考える上での問題意識の線上に乗ってくるような気がしました。(鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B178 『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』)

アートを既知の中の未知を顕在化すること、とするなら、アートの分野で顕在化されたものに目を向けることは悪いことではないと思うし、建築そのものにも作用としてのアートを備えさせるというように能動的にアートを取り入れることは、おそらく、アートから自由になるための一つの姿勢のように思う

9.ソーシャル

つまり、ソーシャルの概念が登場するのはだいたいにおいて資本主義が問題を起こす時であり、資本主義が社会の問題を解決できないときに求められる避難場所に思える。(p.263)

ソーシャルについて、資本主義に対するものとして語られる。

資本主義によって解決されることもたくさんあるので、資本主義が社会問題に対して向き合っていないということではない。むしろ解決するものとしての資本主義が本来の姿ではないだろうか。問題は問題の解決に対して、資本の力に頼るか、連帯のようなソーシャルな力に頼るかのウェイトの違いであり、適否はあるだろうが、これらは善悪の問題とは切り離した方が良いように思う
ただ、資本主義が暴走したり、行き詰まって問題の原因となっていることは否めない。それに対して、ソーシャルが避難場所になりつつある。というより、これらも対立すると言うよりは補い合うものなのだろう。これまでは、資本の力とソーシャルな力は適度なバランスで補い合っていたものが、資本で何でも解決できると誤解した結果、資本に傾きすぎてソーシャルな力が失われてしまっただけなのかもしれない。

おそらく、宮台真司の言うコモンズのようなものが日本的資本主義には欠けているのだろう。そこで、コモンズのような意識や作法をインストールするための有効な手段として、ソーシャルな活動が求められるようになってきたのだろう。

フランスでは「連帯」という社会形式自体がコモンズだと考えられてきた。だから”家族の平安が必要だ”に留まらず、”家族の平安を保つにも、社会的プラットフォームの護持が必要だ”という洗練された感覚になる。日本人にはその感覚は皆無。家族の問題は家族の問題に過ぎない。(鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B110 『M2:ナショナリズムの作法』)

自分の今の仕事は基本的に資本の力に基づく契約をベースとしており、依頼に対する請負という形がほとんどである。中には地元公民館の改修のような契約の形はとってもほとんどソーシャルな仕事もあるけれども、多くの仕事はソーシャルな力にほとんど頼ってはいない。
それは、コモンズのインストールに対する寄与が小さい、ということを表しているのかもしれない。

仕事の中にソーシャルな側面、コモンズのインストールに対する寄与をどうやって取り込むか。それはプレイヤーによってバランスは変わっても良い(バランスの多様性があったほうが良い)と思うのだが、その自分なりのバランスを見つけられたとき、ようやくソーシャルから自由になれるのかもしれない。

「建築」なきあとの建築(再)

さて、ここまで、各章についてざっと思うことを書いてみた。

「求められていることが「建築」を再度つくり直すことだとするならば、それは『「建築」なきあとの建築』ではないのではないか。
「建築」なきあとの建築は「建築」であるための倫理、すなわち、批判的な視点を持ちそこにある倫理を乗り越え刷新するもの、という倫理そのものを乗り越えた先にあるのではないか。

再びこれについて考えたいところだが、何か一つの『「建築」なきあとの建築』という正解がある、というのではないように思う。

乗り越えるというハビトゥスに対して、乗り越える以外に取りうる戦略はポストモダンの作法とでも言うべきものになるのではないか。”とりあえず”受け入れた何かを活かすことによって空間の密度、もしくは出会いの密度を高めていく。そうやって、これらの建築(を規定しているところ)の条件の上に足場をかけていきながらとりあえず考え続ける。
もしかしたら、その動的な営みの集合の中に『「建築」なきあとの建築』がぼんやり浮かびあがるだけなのかもしれない




スケトレメモ おいしい自然

CCI20160705_0000

モデュロールと自在さ

スケッチ載せるのやめとけば良かったと若干後悔しつつ、スケトレなのでこのまま続けます。続けてるうちにうまくなるかもしれないし。

「おいしい自然」は自然に含まれる意味をどう知覚させるか、と自然の中にある情報・不変項をどう抽出し再構成するか、ということが課題となる。

担当したクセナキスが波動ガラス面と名付けたラ・トゥーレットの回廊のガラス面は、モデュロールを利用したものだが、モデュロールも自然の中の不変項を抽出したものと言えるように思う。

コルビュジェは基準線(レギュラトゥール)による構成から、寸法(モデュロール)による関係性の構築へと移行したことにより、より自由に振る舞えるようになったが、そこにはより自然に近い秩序が生まれており、そこにより大きな知覚の悦びが発生しているように思う。

実績より

st04
ここでは建物の最上部にトップライトと東向きの窓を設けるとともに、間仕切り上部をガラスで構成することによって、太陽の進行に沿って室内に光が回り込むことを考えた。

st05

st06
これは、雑木林に囲まれた生活、というコンセプトの敷地に対して、シンプルにいろいろな方向に緑が見えるようにすることで応えた住宅である。(撮影時はまだ植栽が完了していなかったので緑はあまり見えていないが)

st07

st08

ここでは限られた予算の中で、宿泊施設にどのような象徴性を与えるかを考えた。モッチョム岳を背後に控える宿泊棟は垂直性をベースにした構成に、海側の母屋は軒を抑えた控えめな表現とした。
屋久島という自然のなかの構成に何かしら反応するものにしたかった。

st09

st10

st11

ここでは、途中壁を白にしたいという要望もあったが、海に向かった時に建物は背後に退くようなものにしないとその場所の特性を活かせないと考え、海に向かう時に目に入る壁面を黒に、反対側を白にし、屋根と床が水平に外へと伸びていくような構成とした。

st12

st13

st14

これまでは、自然をどう知覚させるか、ということが主題であったが、自然の不変項をどう取り込めるかを考えるための実験として、CADのスクリプトでランダムと擬似1/fゆらぎによるものの比較をしてみた。

ランダムなものは当然規則性はなく、それぞれの要素に重みや固有性は生まれないが、それにゆらぎを与えることでそれぞれの重みに変化が生まれ、固有性もしくは意味の萌芽のようなものが見られる気がする。
自然界のものは、全くランダムというものは考えにくく、その環境の違いによるゆらぎはどこかに現れているはずだ。

コストや手間を考えると、住宅などでどこまで出来るかは分からないけれども、寸法の扱いの中にそういうゆらぎやリズムを与えることはできるはずで、そういったことにもっと意識的に設計を行ってみたい。




スケトレメモ おいしい素材

CCI20160702_0000

時々、プラスディー設計室の主催しているスケトレにスカイプ又はハングアウトで参加させていただいているのだけど、テーマを決めて、その時考えたことなどを簡単にメモして行ってみよう、とふと思い立ったのでやってみる。(過去の分から順に気が向いた時にまとめる予定)

設定したのは、
・前に書いた『Deliciousness / Encounters』の「何を」の各項目を順にテーマとする。
・スケッチの題材はコルビュジェ縛り。
・自分の実績の中からも、何かしら関連しそうなものを見つける。
の3つ。
コルビュジェ縛りにしたのは、単にコルビュジェが好きなのもあるけど、コルが本来持っていたはずの「現代の矮小化されたモダニズムからこぼれ落ちたもの」を『Deliciousness / Encounters』の文脈から考えてみたい、と思ったからで、気楽にやってみようかと思う。

おいしい素材 ブルータリズムと固有性

最初の項目、「おいしい素材」の要点は、それがそれであること、いうなれば物の固有性が知覚の喜びや社会性の基盤となりうるのでは、ということ。

これに関し、コルビュジェで思い浮かぶのは、例えば型枠の材料一つ一つに固有性を与えるような、荒々しく、ラフなコンクリートの仕上げ。

O.F.D.A.:Taku Sakaushi | Text

後期コルビュジエの打放しコンクリートはコルビュジエ自らが「べトン・ブルートB?ton brut (生のコンクリート)」と呼び(図1)、1954年イギリスでブルータルリズムと称されることとなる。モダニズムの運動とは形や思想、すなわちアリストテレスの言葉で言えばその形相を尊重するイズムであり一方の極である質料を見放した。ところがその運動の終了寸前においてこの見放された質料を再考させるような批評の言葉が生まれた。それが「ブルータリズム」である。その意味でこの言葉の意味するところは大きい。 そしてコルビュジエは自らこの質料性の意味に自覚的であり、その点をアレグザンダー・ツォニスはこう述べている。
『ル・コルビュジエは木製型枠の痕跡を「しわや出産斑」とよび、美しい効果—「コントラスト」をもたらすために用いた。その「荒々しさ」、「強さ」、「自然さ」は近代的建設テクノロジーが可能にした精度、ディテール、完成度とは対極にある。表面の粗さ—「しわや出産斑」は美学上の問題をこえて、テクノロジーを応用する「人間」というクリエイティブな存在の手、思考へと回帰しようという姿勢の表明のように思える。』

コルは「質量」を再度建築に持ち込んだわけだが、「形相」を、それ自体から自由になるほど確かなものにできたからこそ、それが批評性を持ち得たように思う。あるいは、「質量」を持ち込むがために、「形相」を極めようとしたのかもしれない。

コルは、施工の不備、偶然から秩序を壊したり構成をかき乱すような不測の事態を好んだそうだが(『ル・コルビュジェの手』アンドレ・ヴォジャンスキー)、ここにもそういう性向が見てとれる。それを満たすためには、不測の事態を許容するような「形相」の強度が必要だったのだろう。

そういったせめぎあいの中から、コルの建築の固有性が生まれたように思うし、そこには固有性を知覚する悦び、さらには「コルの建築と向き合う」ことによる固有性との対話・社会性が生まれている。

実作より

実作でどこまで出来てるかは分からないけれども、各項目で何かしら関係することがないか探してみる。
ここは前に進むステップと考えて、恥を忍んで無理矢理にでも。

st160609_2
素材に関して一番わかり易いのはこの写真の部分かもしれない。
自宅兼事務所なので実験的に使った部分もあるけれども(木製建具なんかは雨掛かりなので傷んでるけど、自宅なので手を入れればOK)、この写真ではモルタル壁・ガルバ壁・木製建具・コールテン鋼・コンクリート基礎、あと砂利と芝、というように素材そのものとして感じやすいものが集まっている。(モルタル・金属・木はわかりやすい材料だと思う)
木造の基礎の立ち上がりは一般的にはモルタルでしごいて綺麗に仕上げることが多いと思うが、物件の方向性によっては、そのままにして仕上げないことが多い。
地面との接点の部分を綺麗にし過ぎると、建築そのものの「質量」が失われる気がするし、せっかく型枠と手作業で生まれた固有性を消し去るのはもったいないと思う。
工業製品でラッピンッグされた住宅に対する、ささやかな抵抗。

工業製品は悪か?

スケトレの中で「工業製品は悪か?」という話も出た。
ささやかな抵抗はしているものの、工業製品の持つ役割や意味も理解できるし、大勢を占めている工業製品を全て悪、と決めつけるのもそれはそれで可能性を狭めてしまう。

他の人がみかんぐみの五本木の家をスケッチしていた。この建築は、一見チープな素材を貼り付けているだけに見えながら、何かしら固有性のようなものを感じさせる気がする。
後でやり取りしたコメントを転載すると、

さっきのみかん組の角の部分、みかんぐみがああいうことやるなら面と面の角で処理しないはずだと、どうしても気になって探したらディテールが載ってました。(建築知識2011.12)
アルミサッシの紹介ページに載ってたんですが、やっぱり角をアルミかなんかで見切ってますね。角のL型っぽいやつ。
意図としては、
・工業製品である固有性を持たないアルミサッシと対を為すように見切り材も(たぶん)アルミを使い、ともに、記号のレイアウトとして扱っている。
・木材もたぶんそれほど「木らしさ」を主張しないはずだと思ったら、やっぱり木製サイディングを使っていて、木でありながら出来る限り工業製品的な固有名をもたない記号として扱おうという意志が見えます。アルミサッシと並列に扱おうと言う意志。
というようなところがポイントかも。
前回の素材の固有性に反する気がしますが、あくまで記号の配列として素材をフラットに扱うことで、工業製品らしい素材の扱いをしつつ、そこに何らかの知覚的な効果、意味のずらしによる意味の発生のようなものを狙っているかと思われます。そこの割り切りに対する潔さがあります。

そのもの単体では固有性を持ち難い工業製品に、固有性を与えるためには、「その特質を一旦受け入れた上で、それが、あたかも固有性を持っているかのようなごまかしが生じないように配慮しながら、一種の記号のように取り扱いつつ、その構成・レイアウトによって、他からの逸脱が生まれるような操作を与える」というのが一つの方法と言えるかもしれない。
これは、弱さが反転したような、強度を持たないことによる強度。「質量」にも「形相」にも頼り過ぎない、微妙なバランスによるもう一つの質と言えないだろうか。

ATGO02
これは何の変哲もない普通の化粧サイディングだけども、左右の微妙な非対称性と、庇の扱い(微妙なカットと、軒の出がある面とない面の並用)によって、微かに固有性のようなものを与えられたように思うし、その加減が、いろいろな表情の建物が混在している密集地域では、一つのあり方としてはアリだった気もする。

IMG_7770
これは、全体的に生活感を配した無機質な空間を指向している住宅の現場写真。
無機質さを指向しつつ、あまりに「形相」に傾倒するのは体験の質としてチープになりかねない、という中でのギリギリのバランスを探したもの。(ちなみにこれはカラー写真です)
天井に「質量」を感じさせる、材料ムラのある板材を貼った後、潰さない程度に白く塗ってそれを弱めることで、他とのバランスを取ることが出来たように思うし、今後什器等が入って来た時に、そのバランスを調整する役割を担ってくれるのでは、と期待している。(と言っても基本的にはクライアントの感覚に頼っている部分が多いわけですが。)
これなどは、おそらくその場の微妙な質としてしか表れないものだと思うけれども、その微妙な違いが知覚の質に案外大きな影響を与えると思うのです。

と、こんな感じでまとめながら、これまでまとめてきた言葉を、なんとかかんとか具体的な技術に結びつけていけたらな、と思ってます。




四十にして惑わず、少年のモードに突入す B182 『〈わたし〉の哲学 オートポイエーシス入門 』

河本 英夫 (著)
KADOKAWA/角川学芸出版 (2014/5/23)

前回の記事で紹介した動画の音源をスマホに落として繰り返し聴いたのだが、まだ上手く飲み込めないでいた。
その動画の中で「理解・応用しようとしても本人の経験は一歩も前に進まない。経験を開かないとダメ」というようなことが言われていて、それがどういうことなのか自分なりに掴んでおきたかった。
また、動画の内容を文字起こししたものが欲しいと思っていたところ、どうもそういう内容の本がありそうだということで買ってみた。

オートポイエーシスの経験 少年のモード

あとがきに

オートポイエーシスの入門版を、オートポイエーシスに関連するキータームをほとんど用いないでやってみている。そこではオートポイエーシスの構想を知るのではなく、オートポイエーシスという経験を感じ取ってもらうための数々の工夫を組み込んだつもりである。

とあるように、第一章から第三章までは寺田寅彦・マティス・坂口安吾といった具体的な人物を取り上げ、経験を開くというようなことがどのように実現されているかが示される。
ここまでほとんどオートポイエーシスという語は現れず、ようやく終章でオートポイエーシスについて語られる。この終章はかなりの部分が動画の後半と重なっており、まさしく期待していたような内容だった。

しかし、やはり終章は論のまとめのような感じなのでどうしても理解・応用のサイクルに落ち込みそうになる。
その点ではそれまでのつらつらと書かれた寺田寅彦、マティス、坂口安吾の章の方が自らの経験を開くための「原型」として作用しそうな予感が持てた。なのでそこで感じたことを書き留めておきたい。

さて、はじめにの部分で「少年老い易く学成り難し・・・・」を引用し、「少年」とは時間区分ではなく経験のモードだと捉える。
少年の時期が過ぎ去ってしまうから学成り難しではなく、少年のような柔軟な経験のモードがまたたくまに老いてしまうので学成り難しなのである。

その柔軟な少年の経験モードを維持し続けられたとして取り上げられたのが先の三人であるが、私もあと一月を待たずして40代に突入する。この時期に来て「少年老いやすく」ということを急に強く感じるようになった。
少年だと思っていたモードがなんだか急激に老いてきているのでないか。
やっぱり瑞々しい気持ちで仕事でも何でもやり続けたい。そういう分かれ目という意味でわりと重要な一年な気がしているので何とかヒントだけでも掴んでおきたい。

まずは、寺田寅彦、マティス、坂口安吾、それぞれの章について簡単に(現時点で感じた範囲で)まとめておきたい。

不思議さのさなかを生きる 寺田寅彦

寺田寅彦の科学的思考の中には、データから概念や理論に進むのではなく、問いを宙吊りにしたまま、アナロジーで考えていく基本的な推論のモードがある。また、それを支えていく、分散的な注意力がある。それは詩人や俳人が、見慣れたもののなかに新たな現実の局面や断面を見出すような、緊迫しているが、力の抜けた注意の働き方である。ここには個々の事実を普遍論理の配置で分かったことにしないという「理解の留保」がある。理解を通じて現実を要約するのではなく、現実の新たな局面が見えてくるように、アナロジーを接続していくのである。

寺田寅彦が「不思議のさなかを生きる」少年のモードを維持することの肝は、説明し分かったことにしない、「多様な現象を見る眼」にあるようだ。
寺田寅彦の思考法として、「問いの宙吊り」「アナロジー 原型的直感」「像的思考」を挙げている。

焦点化しない注意を活用するには、どうすればよいのか。意識に力を込めず、感覚を目一杯開いて、感じられるものを宙吊りにしたり謎のまま維持してみる。「何が起きているのだろうか」という感触を維持するのである。

アナロジーは、なにか類似したものを手掛かりに思考していくやり方であり、最終的なものを求めず、また行く先が決まっているものでもない。言語的に見れば、比喩能力に近い。(中略)アナロジーはそうした経験の試行錯誤の場所なのである。

寺田寅彦の科学的思考は、現象を原理に帰着して分かったことにするのではなく、むしろ隣接するアナロジーをずらしながら考察するようなものであった。またそのことを活用して、多くの現象を見る眼を形成したのである。

像的思考とは、直接現象を思い浮かべるような経験の仕方であり、像の連鎖で物事を考察するような経験の仕方である。語を学び、概念を学ぶと、どうしても意味や内容で、語を理解してしまいたい誘惑にかられ、またそれで分かったように考えてしまう。ところが像的思考は、くっきりと像になるものをベースに考えていくのである。

こうした態度の中から生まれたのがまさにオートポイエーシスであり、アフォーダンスだと思うし、ホンマタカシのブレッソン-ニューカラーの議論も頭に浮かんだ。(ニューカラーは問いを宙吊りにし開かれている感じがする)

また、建築の分野ですぐに頭に浮かんだのは谷尻誠の「初めて考えるときのように」と藤本壮介のちょうど今開催されている個展である。

「最近僕が見つけたやり方は、“名前をなくす”ことです。たとえば“コップ“は液体を入れて飲むことに使う道具ですが、それ以上のものではありません。でもその名前を取ってしまえば、花瓶やペン立てに使おうとか、金魚を飼おうとか、積み上げて建物を作っちゃおうとか、自由な発想が出てくる。すると結構いろんな使い方が想像できて面白いんですよ。レールが引かれている今の世の中ではすべてのものに名前が付いていて、それが使い方を規定しています。だから、いったん名前を外して『これって何をするものだろう?』と向き合うことにしたんです」(初めて考えるときのように | 谷尻誠 | TheFutureTimes)

「こっちですよ、と指し示されているものからどうやって逸脱するか。それを一生懸命に考えています。たとえば『カフェを作ってください』と注文されると、途端に“カフェ”という名前が僕を支配するんですよ。カフェは普段から知っている場所だし、ある程度のものは誰でも作れちゃうんですよね」

「名前がないと何をやっているかわからないし、どこへ行ったらいいかもわからないから、本当はすごく難しいんですよ。逆に、新しく名前を付けると『それになる』という面白さもあります。家ができあがってポストをどうしようかとなったときに、ただのワイン箱に『POST』と書いて置けば、きっと郵便物が入るはず。名前には、物事を変換できる強さもあるんです。“取ること”と“付けること”、どっちにも面白さはあるんじゃないでしょうか」

言葉をとることによって問いを宙吊りにし、言葉を付けることによってアナロジーをずらしながら新しい経験のモードへと導いていく。それは、直感的に編み出した少年を維持するための方法とも言えるだろう。

こうして批評してくれるのはありがたい。一方で、この展覧会は、あるいは、建築というものの総体は、このような分析的な記述では、重要な部分がするすると抜け落ちてしまうということに気付かされ、反語的に、建築の本質をあぶり出してくれた形だ。これも言語かされたゆえに見えてくるもの(Sou Fujimoto Twitter 11:29 – 2015年4月28日)

この展覧会を見たわけではないが、挙がってくる情報を見る限り、アナロジー・原型的直感の種となるようなものが大量に羅列されているようである。おそらくそこには寺田寅彦のような少年のモードを維持するための留保への意志が強く現れている。

これに対し、

藤本さんが何か発表するととりあえず何か書いて、「言葉にするとこぼれ落ちるものを追い求めたい」と返されて、というサイクルを10年くらい続けており、もはやパターンw 藤本さんの創作には役に立たなそうだけど、藤本さんの奔放さに惑わされそうになっている人(=自分)にはたぶん役に立つw(Ryuji Fujimura Twitter 13:12 – 2015年4月28日)

というような返しもあったが、そこには方法論に対するスタンスの違いがあるのかもしれない。
藤本氏はおそらく個人的な創造という行為に関わる経験のモードを直接的に方法論として提示しているように思う。それは、あくまで経験のモードの提示であって、安易にかたちだけを真似をしようとすれば個人の経験が開かれるどころか帰って狭い領域に閉じ込められる危険性をもつように思う。
一方、藤村氏は直接的に経験のモードを提示したり、強調することはしないが、具体的なプロセスを記述し、それをなぞることによって間接的に新しい経験のモードが開かれるような方法論となっているように思う。経験のモードを方法論に埋め込むことによって、真似による再現可能性が目指されているのかもしれない。このプロセスによって経験のモードが開かれる度合いはおそらく経験する側の感度や意識による部分が大きいように思われるが、そこに意識的になれずに小さな振り幅にとまり誤解を受ける、といった危険性もあるように思う。

両者は

方法論という言葉、難しいですよね。いまだにニュアンスつかめません。近くに方法論を語る友人が居て、彼は自分が考えやすくするためのものだ、というようなことを言います。僕は他人が実践できるものだと言います。平行線です。笑@onokennote(山口陽登 Twitter10:01 – 2015年4月28日)

とコメントいただいたようなスタンスの違いによるもので経験のモードを開くという一点では同じ方向を向いているように思う。ただし、藤村氏が後でつぶやいていたように、そのスタンスに意識的であるかどうかは重要な点であろう。

例えば、藤本さんが「立原道造」なら自分はやはり「丹下健三」を目指そうと考える。そんなことどうでもいい、という人もいるけれど、創作の方向に自覚的になると成果物の精度も変わって来るし、さらには依頼される仕事も変わって来る。創作の方向が曖昧だと、作るものも曖昧になる気がする。(Ryuji Fujimura Twitter 13:44 – 2015年4月28日)

身の丈を一歩超え続ける アンリ・マティス

マティスの画法は、つねに方法の一歩先にどのようにして届かせるかにある。そしてそのことが新たな快の感覚を生じさせるように、色の配置を組み立てていくことを課題にしている。(中略)経験の境界を拡げていく作業は、境界をぐるぐる回りながら、気がついた時には境界そのものが変容し、拡張しているということに近い。マティスは、繰り返しこうした課題に踏み込んだのである。

ここでは「想起 再組織化」「佇む」「快 装飾」「強度」「存在の現実性」「経験の拡張」といったものがキーワードになるように思われる。

個人的には創作の現場として具体的にイメージがしやすく最も入り込みやすい章であった。引用しておきたいヶ所は膨大になるがなるべく絞って引用しておきたい。

反復は、反復のさなかで過去を想起することであり、想起する経験の中で、過去を何度も再組織化することである。想起は、単なる呼び出しではなく、そのつど再組織化が働く。

そのため自分自身で新たな局面や新たな経験の仕方が見つかるまで、その場で「佇む」ことが必要となる。そしてそこから一歩踏み出せるまでの「こだわり」も必要となる。「こだわる」ことは、もちろん固執することではない。

つまり「影響」というのは、不適切なカテゴリーなのである。むしろ学んだものを、みずからの制作へと組織化し、そこに固有のプロセスが出現するように経験が進んでいくのだから、そうした自己組織化のプロセスこそ問われるべきものとなる。

身体そのものも、まさに存在することの喜びにあふれている。(中略)この喜びが見る者にとっての快につながるように作画することができる。こうした喜びにあふれた顔を描こうとすると、細かな技術による丁寧さが、むしろ邪魔になってしまう。あることの自然性に向かい、このおのずと自然性であることの喜びに到達するためには、落とすことのできるものはすべて徹底的に落としていくことが必要であり、さらには在ることの「強さ」に向かうことが必要である。(中略)こうした効果を、マティスは「装飾」と呼んだ。装飾とは、こうした存在の喜びにふさわしい色と色の配置を見出すことである。

こうした経験の形成される場所を見出してしまうと、絵画はもはや鑑賞の対象でもなければ、立場や観点の問題でもなく、技法の現実化という方法の問題でもない。経験の形成の場所という課題を見出したことによって、彼らはともかく前に進み続けたのである。このとき、作家はすでに少年であり続けることの条件を手にしたのである。

こうした場面での感性の品格にかかわるような解があるに違いない。マティスの作り出そうとした快は、この感性の品格に届かせるようなものだったのである。

触覚から出現する事象を、視覚的な場所に写し取ることこそ、マティスが終生企てたことであり、すでにして終わりのない少年を生きることになった。

一般に方法的に制御されなければ、作品は無作為が過剰となり、方法的に制御されるだけであれば、作品の現実は貧困になる。

キュビズムの圧倒的な広がりのなかで、マティスの行った選択が何であるかが今日少しずつはっきりしてきている。作品を作ることがかたちのヴァリエーションではなく、つねに一つの発見であるような、色とかたちの釣り合いを求め、幾何学的な比率と色彩の比率が釣り合う地点を、色の側から求め続けたのである。

飽きは、おのずと出現する選択のための積極的なチャンスである。ここでは無理に別のやり方に変えても、ただちに頭打ちになる。というのもその場合には、観点や視点で別のことをやろうとしているからである。このときいまだ経験が動いていない。次の回路が見えてくるまで、しばらくは宙吊りにされた時間や時期を過ごさなければならない。

何か刺激的で面白いと感じられたとき、それは多くの人にとってたんに刺激的である。そこから更に進めて、何か固有の経験の拡張がなければ、実はまだ何も見ていないことになる。

制作プロセスと作られた作品は、異なる次元にあり、二重の現実として成立している。制作行為で考えると、制作する行為と作品の間で、埋めることの出来ないギャップを含みながら、作品は固有の現実性として成立することになる。ここに制作行為での創発(出現)がある。ある意味で、作品は制作プロセスの副産物であり、このプロセスから手が届かなくなった時に、作品は出現する。あるいはある構想やアイディアを抱いた時、それを直接制作しようとするのではなく、ひとときそれらを括弧入れして、まったく別様のプロセスを進んでみる。そのプロセスの副産物が、当初の構想やアイディアの現実のかたちであるように、プロセスを進んでみるのである。

マティスが行ったのは、そのつどプロセスで経験が拡張するように進むことであった。そのプロセスの副産物が、出来上がった絵画である。ところがこうした制作プロセスのうち、変形のプロセスは、極めて特殊なものであることが分かる。つまり方法的制御のもとで、行く先はほぼ決まっており、作品が完結するのはテクニカルな改変の終了である。

多くの場合、課題を変形して、ただちに対応できるものにして、用済みにしてしまう。つまりさっさと終わったことにしてしまうのである。しかしこうした課題をペンディングにしたままにしておくと、何か最初に受け取ったこととはまったく別様のものが見えてくることがある。

マティスは一貫して、どのような技法に対しても、そこに含まれる可能性を拡張していけばさらにどのような経験の拡張が可能になるかを考えていた。

ピカソは、由来が不明になるほど変形をかけて、変形のプロセスが停止する場所を探すことの名人芸に達している。これに対して、マティスはそれぞれの技法に含まれる可能性を、最大限に発揮できる場所にまで進めていく名人芸に達している。その意味でピカソは終生子供であり、マティスは何度もみずからをリセットする少年であり続けたのである。

こうして挙げてみて、これらは二つに分けれられるように思った。
「快 装飾」「強度」「存在の現実性」などの部分はマティスが目指したもので直接経験のモードに関わらないもの、「想起 再組織化」「佇む」「経験の拡張」などの部分は少年の経験モードに直接関わるものである。
そして、この両者において非常に勇気づけられた。

前者は、個人的に建築を考える上で共感する部分が多く、それらはこのブログでしつこく何度も書こうとしてきたことと重なる。そういう意味では自分は少年であり続けるための条件を手にしているのかもしれない。それはとても幸運なことのように思う。

後者では、今まさに40を迎えようとする、若干の飽きと迷いの中にある自分に一つのあり方を示してもらえたような気がする。今の状態を決して悲観的に捉える必要はなく、次の回路が見えてくるチャンスとして捉えればよい。固執することなく経験のモードを開きながらこだわり佇んでよいのだと勇気がもらえた。重要なのは経験を拡張していくための構えのようなものであろう。

また、建築に関して思い浮かんだのはコルビュジェであった。
コルビュジェは方法に関していろいろと言ったり、古いものを見て(今的に言うと)つぶやいたりしている。しかし、そこでは常に経験の拡張のようなものが目指されていて、まさに「身の丈を一歩超え続ける」少年のようであったように思われる。

成熟しないシステム 坂口安吾

坂口安吾は、人間の自然性をある種の「どうしようもなさ」に置いた。そこから救われようとするのでもなく、またその状態を変えようとするのでもない。達観することも、宿命や運命に委ねることも、余分なことだと感じられるような場所がある。そこには引き受けたり、引き受けなかったりするような選択性が、一切効かない「どうしようもなさ」がある。それは生きていることの別名であるような、生の局面にかかわっている。(中略)そしてこの「どうしようもなさ」に見いだされる美観から日本文化の特質を取り出した。安吾はおよそ本人に面白いと感じられるものは、何でも実行したのである。

ここでは安吾の作品の資質として「無きに如かざる精神の逆転」「人為を限りなく超えた、さらに一歩先」「成熟もなく老いることもない」「あっけらかんとした情感」といったものを挙げている。
しかし、この章は創作そのものというより安吾の生き方そのものようなものを浮かび上がらせており、まだうまくつかめないでいる。

ところが成熟とは無縁で、熟練することが一つの後退であるかのように、経験の履歴を進み続ける者がいる。まるで老いることが他人ごとであるかのように、もはや老いることができなくなってしまった一生を当初より進み続ける者がいる。見かけ上は停止や堂々巡りに思える。だがそれでも延々と進み続けるのである。これは異なる経験の仕方であり、別様に経験の蓄積を生きることである。たんにその都度不連続に作品を作り続けるのではない。不連続に作品を作り続けても、対象の種類が拡がるだけで、いわば様々な領域で食いつぶしを行っているようなものである。
だがそれにもかかわらずなお前に進み続ける者がいる。(中略)それらを総称して「一生、束の間の少年」と呼んでおく。

坂口安吾は、多くの領域で延々と書き続けた作家である。だが作品の技術が向上している様子はない。場合によっては、下手になっていると感じられる場面もある。しかし安吾自身は、上達することをどこか嘘だと感じている。

作為の意匠や工夫をどこかよそよそしく感じ、そうしたものとは別様に出現する現実が、紛れも無い本物だと感じられる場所である。個々の意味の深さではなく、ある種の直接経験の強さが出現する場所こそが、こうした「ふるさと」になぞらえられる経験の局面である。それは安吾の経験の出現する場所であり、生きていることがそれとして別様になりようもない場所である。そしてそこでは意匠の美ではなく、経験の強さこそが問われる。ここでは、美とは一種の経験の強さの度合いのことである。

強さの度合いを感じ分けながら、そこに出現する自己を生きている存在が、安吾の「束の間の少年」である。

それは感性を拡張しようと目指すことではない。むしろおのずと拡張になるように、経験のモードを変えていくことである。

安吾の美観は「どこか違う」ということを感じ取る感性にあるように思われる。それは成熟に向かうことを拒むことによって経験の強度を維持しようとする意志のようにも思われた。

普通は生きていく上で、いろいろな余分な考えが浮かび、その誘惑によって行動してしまうことが多いように思う。個人的にも、例えば作ったものを同業者に良く思われたいと言ったその手の誘惑は多いし、それによる不自由さのようなことを考えることも多い。
そういった局面において「どこか違う」ということを感じ取る感性を発揮し経験の強度を維持できるかが分かれ目にもなるのだろうし、それは建築としても現れてくるものだと思う。

これに関して思い浮かんだのは内藤廣の有名になる前のエピソードであり、自分の感性を信じる強さのようなものであるが、この章に関してはもっと自己と感度良く向き合わなければ見えてこない部分も多いのかもしれない。

方法論について

今、私たちの世界に対する認識の方法はこれまでの歴史の中で形成されてきたものであり、可能性の一つとしてたまたまこうなった、という類のものだと思う。それが私たちのものの見方、経験の仕方を相当に狭めていることは間違いないだろう。
なぜ私がオートポイエーシスやアフォーダンスといったことに可能性を感じるかというと、通常世界を認識しているのとは少し違う(違う歴史を経ていればあたり前であったかもしれない)別の見方を垣間見せてくれるからで、それによって多少なりとも自由に振る舞えるようになると思えるからだ。(たとえば西欧文化にどっぷり浸かった人が東洋の文化にはじめて触れた時に感じる可能性と自由のようなものだろうか。)

その振る舞い方というのはおそらく設計の場面においても根幹の部分で強く影響があるように思う。
それに関連して、何か方法論のようなものを持ちたいとこのブログでも何度も書いている。

方法論とは何なのだろうか。
うまくつかめないでいるし、そのスタンスもいろいろなものがあるように思う。
その中で、自分にとっての方法論とはおそらくそれを世に問うといっただいそれたものではなく、自らの経験を前に進めより良い建築を生み出せるもの、といった範囲にあるものではないかと思う。

それは、世に問うことを否定しているのではなく、自分というシステムを起動し有効に働かせることのできる半径がおよそこれくらいという感覚からくるものである。その辺りの規模感というか自分のやってることの位置付けを間違うと何かがズレてしまうのではという感覚がある。

その上で、方法論というと何か具体的なもので自動的に建築に近づけられるもの、というイメージがあったがなかなかしっくり来るようになれなかった。
むしろ、そういう具体性を際どいところで回避するような方法論というのもあり得るのではないか。そして、それは言ってしまえば「当たり前の事」のようなものになるのではないか。その当たり前さがむしろ可能性と奥行きを持ちうるのではないか。という気がしていてこの本を手にした。

例えば、方法論を「どのような働きの中に身を置くか」と言い換えてみる。

要望を聞き条件を整理し形を探る。それは当たり前のことだけどその中から具体性が浮かび上がってくるように思うし、その場合方法は事前にあるのではなく、事後的に発見されるものだろう。
だとすれば方法に焦点を当てようと思った時点でズレていて、やるべきは感度高く働きの中に身を置くことだろう。

そう考えると少し気持ちが楽になった。
今取り組んでいることに、当たり前に取り組んでいく。それは、当たり前のことを単に繰り返すのとは違い、少年のように試行錯誤を繰り返すことで経験が前に進んでいくようなものであるはずだ。

「四十にして惑わず」とある。これを河本氏的に解釈するとすれば、四十になって成熟の域に達し迷わなくなる、ということではないだろう。三十代までの紆余曲折を経て、取り組むべき課題に確信を持ったことで堂々と少年のモードに再び戻る準備ができたと言うことではないだろうか。そのための実践の場もこのころにはある程度準備ができているだろう。

自分も確信を持って四十の少年モードに突入していければと思う。

終章 オートポイエーシス少年

最後に終章で気になったところをいくつか抜き出してメモとして残しておく。

ドゥルーズの哲学とオートポイエーシスに共通の課題は、世界の現実的な多様性を出現させ、その多様性の出現が各人の経験の固有性の出現に連動するような仕組みを考案することである。

実際には、プロセスと産物を区分しておいた方が経験を拡げていくためにははるかに重要である。たとえば芸術的制作を行うさいには、プロセスの継続の副産物として作品が生み出されるのであって、作品に向かってそれを作ろうとした、という事態はほとんどの場合成立していない。

このおのずとシステムになるという感触がオートポイエーシスの構想にとってはとても大切なところである。

こうした自在さは、配慮や熟慮とはあまり関係がなく、ましてや視点や観点を切り替えることとはまったく関係がない。必要なのは経験の弾力であり、経験の動きである。このときこうした経験の弾力を備えた現実の姿を、具体的個物で表そうとすると、それが「少年」となる。少年は、発達の一段階ではなく、ある経験のモードの「原型」なのである。

どうしても踏み出せない場合には、こうした作業の手本となるものが存在している。だがそれを読んでしまうと言葉の迫力と現実感に圧倒されて、自分で前に進むことなどできなくなる。(中略)これらを真似ようとすると、間違いなく二番煎じ以下になる。そのため一度忘れて、その後それを思い起こすようにして、自分自身の言葉を作り出していく。想起とは、過去からの選択的な創作である。

ここに必要とされるのが経験の弾力である。というのもあらかじめ方法的にどうするのかが決まっているわけではなく、経験にとって最も有効な仕方を試行錯誤して探しださなければならないからである。

理解したから応用できると思って、やってみると何ひとつ前に進んでいない、ということが起きるのである。こうして気がつけば、理解から応用に進んでしまっている場合は、一度理解したものをすべて捨てたほうが良い。捨てることは、積極的な試みであり、捨てたものが再度経験の中から出現してきたとき、想起されたものはすでに選択され内化している。それがみずからオートポイエーシスを内面化することである。

持続的に息長く仕事をできている場合にも、多くのモードがある。それを真似て同じようなやり方をしても、二番煎じ以下になるが、それは作り出された表現のかたちを真似ようとするからである。むしろある経験の動かし方の特徴を取り出せれば、それを活用できる場面で選択することはできる。




B176 『知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境』

村田 純一 (編集)
東京大学出版会 (2013/7/31)

『たのしい写真―よい子のための写真教室』の流れからアフォーダンス関連をもう少し突き詰めようと読んでいたもの。
なかなか読書時間がとれなかったのですが、最近移動時間が多かったのでそれを利用してなんとか読み終えられました。

記憶の補完としてブログにまとめようと思うのですが、読み応えのある本でとても長くなったので3つに分けてみたいと思います。

序章

まずは序章の部分から。個人的なメモとしての意味合いが強いので引用と感想のようなものを並べることになると思うので分かりにくいとは思います。興味のある方は是非原本を読まれて下さい。

このシリーズの目指すところと建築設計

本シリーズは、生態心理学を理論的中核としながら、それを人間環境についての総合科学へと発展させるための理論的な基盤づくりを目的としている。(p ix)

人間環境の構成要素、すなわち、人工物、人間関係、社会制度は単なる意味や価値として存在しているばかりではなく、それぞれが人や物を動かす実効的効力(広い意味での因果的効果)を持っている。それゆえに、人間環境は、社会的・文化的な存在であると同時に、物理的な存在でもある。

本シリーズで追求したいのは集団的に形成された人間環境のあり方を記述し、人間個々人がその人間環境とどのような関係性を取り結んでいるかを明らかにし、最終的に、どのような人間環境を構築・再構築すべきかという規範的な問題である。

どんな生物もそれぞれが属する環境から切り離されては生きていけない。私達人間も同様である。これが「知の生態学的展開」と題された本シリーズの基本テーゼである。

建築に関わる人の多くはそうであると思うし、建築に限られた話ではないと思いますが、僕は建築をつくことは環境をつくることだという意識が強い。
ここでいう人間環境は何かというのは本書に譲りますが、このシリーズはまさに環境を扱っており、建築設計におけるメインとなるテーマに切り込むものだと思います。

知覚・技術・環境と建築設計

人間の環境内存在はつねに「技術的環境内存在」であったし、現在もそうである。本巻の主題は、この技術によって媒介された環境内存在のあり方を日常生活の中で出会う具体例に則して明らかにすることである。

「環境」に続き、この巻でテーマとしてあげられているのが「技術」。
続き、というよりは知覚・技術・環境といった一連の関係性が「生態学的転回」の視点を導くもののように思います。

例えば、私たちがそれまで危険で近寄れなかった火をうまく扱うことができるようになったり、あるいは、それまで何げなく見ていた木の枝を箸として使える道具とみなすことができるようになったりする過程は、新たなアフォーダンスの発見過程であると同時に、新たなアフォーダンスの製作過程と考えることもできる。このように知覚と技術に共通に見られる環境とのかかわり方に着目することによって、技術論の生態学的アプローチへの道筋が垣間見られる。

ギブソンの言葉を使うと、ここで知覚-行為連関は、特定の目的の実現に奉仕する「遂行的活動(performatory action)」から区別された「探索的活動(exploratpry action)」というあり方を獲得するといえるだろう。
このような仕方での知覚と行為の新たな連環の獲得、新たな仕方での環境との関わり方の「技術」の獲得が、先に述べた学習を通しての環境の構造変換の内実をなしている。

子供が技術を獲得したから、環境が変化するのではなく、また、環境が変化したから子供が技術を獲得したわけでもない。知覚の技術と知覚に導かれた運動制御の技術を獲得することはすなわち、新たなアフォーダンスが発見され環境に備わるアフォーダンスのあり方に変換が生じることに他ならないのである。

一部の引用だけではなかなか上手く伝えられないですが、知覚・技術・環境のダイナミックな関係性が見て取れます。

このブログでも藤森照信さんの書籍等を通じて技術とはなんだろうか、というのに興味を持ち始めているのですが
(■オノケン【太田則宏建築事務所】 » 技術
では、このような知覚・技術・環境の構造が建築の設計においてどのような視点を与えてくれるでしょうか。
僕は少なくとも次の2つの場面において何らかのヒントを与えてくるように思いました。

一つは、建築を設計する作業そのものが環境との対話のようなものだとすると、設計するという行為において、いかにして環境を読み込み設計に反映させることができるか、またその技術はいかにして発見できるかを考える場面において。

もう一つは、建築が環境をつくることだとすると、そこで過ごす人々と建築との間にどのような関係を結べるか、を考える場面において。

これら二つは切り離せるものではないと思いますし、後の章でこれらの接続する試みもなされているのですが、ここではとりあえずこれら二つの場面について引用しながら少しだけ考えてみたいと思います。

設計行為における知覚・技術・環境

ギブソンによれば、ニッチとはどこに住むかを示す概念ではなく、むしろいかに住むかを示す概念であり、したがって同じ場所に多様な動物のニッチが共存しうると考えることができる。環境の場合も同様に、人間を含めて動物が世界にいかに生きるかを示す概念であり、それゆえ同じ世界に多様な環境が共存しうると解されるのである。

「どこに」ではなく「いかに」
環境という概念が絶対的な存在としてあるものではなく、関わりあいの中から発見・製作されるものだとすると、建築の設計は環境の中から「いかに」を発見・製作する作業だとも言えます。

そういう点で見れば、リノベーションはその定義から言っても「(例えば古くなることで)実践状態から外れたもののなかから、ふるまいに関わる要素を抽出・活性化して再び実践状態に戻すこと」が宿命付けられており、多くのリノベーションに生き生きとした豊かさを感じるのも当然のことかもしれません。 ただ、この時に「ふるまいに関わる要素を抽出・活性化」しようというような目線はリノベーションに限られるものではないので、新築の場合にも同じような目線・構造を持ち込むことはできるかもしれません。 例えば青木淳さんの「原っぱ」「決定のルール」、「地形のような建築」で考えたようなこと、「地形のように自律した存在の場所に、能動的に棲み込んでいく」ようなことは、リノベーションと同様の「ふるまいや実践状態への目線」を浮かび上がらせ、空間を生き生きとしたものにするための構造と言えそうな気がします。 (結局、棲み家、というところに戻ってきた。)(■(オノケン【太田則宏建築事務所】 » B174 『建築と言葉 -日常を設計するまなざし 』) )

この引用部で考えたことに近いかもしれませんが、上手くいったリノベーション事例に感じる魅力の一端はリノベーションが必然的に「いかに」を内包する行為であるからかもしれませんし、それは新築の設計においても活かせるものだと思います。(個人的にはリノベと新築を区別せずに一元化した視点を持ちたいと思っているのですがそれはまた改めて考えます)

出発点は、脳ではなく環境であり、環境に適合して生きる「環境内存在」というあり方である。知覚は環境に適合して生きる機能として成立したのであり・・・(中略)こうして見ると、伝統的知覚論は、知覚を成立させる可能性の条件である「環境内存在」のあり方を逆に困難の発生源と見なし、他の動物との共存を示すはずの知覚現象を主観的な脳内現象とみなすという根本的な逆転を起こしていることになる。それに対して、このような逆転を再逆転することが「生態学的転回」の最も基本的な課題である。
それでは、同じことが技術に関してもいいうるだろうか。技術に関しても、その可能性の条件を環境に求めるような「環境内存在」という観点を確保しうるだろうか。

建築を設計する行為はさまざまな環境を余条件として受け止めそれに対して回答を得ようとするものというイメージがあるかも知れません。
これを先の引用の伝統的知覚論、いわば受動的な知覚論と重ねあわせると、別のイメージが浮かび上がってきます。
環境を主観的な設計行為に対する制約として受け止めるのではなく、環境それ自体を可能性の海、能動的に探索する対象として捉え、知覚・技術・環境のダイナミックな関係性の中に置くともっと豊かな設計のイメージが浮かんで来ないでしょうか。
こういう視点はいろいろな方が実践されてるので特に目新しいものではないかもしれませんが、それらを理解したり自ら実践するための一つの道具になりそうな気がします。
また、ギブソンは環境の基本的な要素として、物質と媒質、そしてそれらの境界を示す面をあげています。これらは建築の基本要素とも言えるのでアフォーダンス論的に建築空間を捉えて設計に活かすことも考えられますがここでは置いておきます。(隈さんの本の佐々木正人さんとの対談でこの辺りに触れてました。)

建築という環境と知覚・技術・環境

(チンパパンジーがバナナを取る際に置いてあった箱を利用すること発見したことに触れて)このように、環境内に新たなアフォーダンスが発見され、それまでのアフォーダンスが変換を受けることが、すなわち箱を使って技術の獲得を意味しているのである。

技術の獲得・アフォーダンスの変換が生じることはそこで過ごす人々にどう関わるだろうか。
これはまだ個人的な見解にすぎませんが、そのようにして知覚・技術・環境のダイナミックな関係性が築かれることは、人間が環境と切り離せない存在だとすると、それは人の生活を豊かにすることにつながらないでしょうか。
ここで、技術の獲得をふるまいの発見と重ねあわせると塚本さんの「ふるまい」という言葉の持つ意味が少し見えてきそうな気がします。
再引用

なぜふるまいなのか 20世紀という大量生産の時代は、製品の歩留まりをへらすために、設計条件を標準化し、製品の目標にとって邪魔なものは徹底して排除する論理をもっていた。しかし製品にとっては邪魔なものの中にも、人間が世界を感じ取るためには不可欠なものが多く含まれている。特に建築の部位の中でも最も工業製品かが進んだ窓のまわりには、もっとも多様なふるまいをもった要素が集中する。窓は本来、壁などに寄るエンクロージャー(囲い)に部分的な開きをつくり、内と外の交通を図るディスクロージャーとしての働きがある。しかし、生産の論理の中で窓がひとつの部品として認識されると、窓はそれ自体の輪郭の中に再び閉じ込められてしまうことになる。 (中略) 窓を様々な要素のふるまいの生態系の中心に据えることによって、モノとして閉じようとする生産の論理から、隣り合うことに価値を見出す経験の論理へと空間の論理をシフトさせ、近代建築の原理の中では低く見積もられてきた窓の価値を再発見できるのではないだろうか。(■(オノケン【太田則宏建築事務所】 » B166 『WindowScape窓のふるまい学』) )

「WindowScape」で取り上げられている様々な事例に感じる豊かさは、そこに住まう人と環境との間に豊かな関係が築かれているからだと思いますし、そのような関係性をどのように生み出すかは建築の設計においても大きなテーマになりうると思います。
その際にもギブソン的な視点は有効な道具になりそうな気がします。

また、一つのもの・要素がいくつもの機能を内包しているようなデザインに何とも言えない魅力を感じることがあります。
その理由を考えた時、それがいくつもの「技術のあり方」「環境とのかかわり方」を暗示しているため、そこに可能性のようなものや自由さを感じ取るからかもしれないと思いました。先の塚本さんの言葉を使うと「閉じ込められて」いないというか。

「つくる」と「つかう」を超えて(関博紀)

今回は『第3章「つくる」と「つかう」を超えて(関博紀)』の部分。

なぜ設計と利用とを一元的に捉える必要があるか

建物をめぐって、わたしたちは、日々多くを営んでいる。なかでも、設計すること(つくること)と住むこと(つかうこと)は、その代表的なものだといえるだろう。(中略)本章では、こうした背景を踏まえた上で、いま一度設計と利用の関係について検討してみたい。そして、設計と利用とを一元的に捉える、もうひとつの展開について検討してみたいと思う。それは、設計という営みに生態学的な特性を見出すことを通して、設計と生活のいずれもが環境に根ざした営みであることを確認しようとするものである。

この(つくること)と(つかうこと)は奇しくも前回の(知覚-技術-環境)の構造が有効と思われる二つの場面と一致しそうに思いますし、とすればその思考の流れからそれらは(知覚-技術-環境)の視点から一元的に眺めることが出来ると言えそうな気もする。
では、そのような一元化した視点はなぜ必要なのか。
実はそれに関してはまだ上手く整理できていないのですが、例えば「参加型」の計画手法について

計画者と生活者が共同する「参加型」のデザイン手法は、設計と利用との距離をかぎりなく近づけるという点で、dwelling perspectiveの具体的展開と位置づけられる。しかしこの手法は、設計行為と環境の関わりを関わりを必ずしも前提とするものではない。したがって、dwelling perspectiveの具体化にはさらなる可能性があるといえるだろう。

と書かれています。
「参加型」では十分でないもの、もしくは一元的理解によって得られるものとはなんだろうか。
ここで出てきた(dwelling perspective(住む視点)はティム・インゴルドによって提示された視点で、ハイデッガーの「建てる・住まう・考える」を引き合いに出して次のように書かれています。

一方で「建てることは、つまり、住まうことのの単なる手法や方途などではない。建てることは、それ自体すでに、住まうことである(ハイデッガー)」と主張し、環境との結びつき、すなわち「住」んでいることをわたしたちの生活の基盤として認めることによってはじめて、「建てる」ことの本性が理解されると指摘する。

と、ここまで書きながら、確か『建築に内在する言葉(坂本一成)』にこの辺の事が書いてあったと思い紐解いて考えてみることにします。

当然のことながら、人の生活が始まったその場と、竣工時のからの状態とのあいだに、そこに現象する空間の質の違いを感じた。そこでは私が計画して建てた空間は消失し、別の空間が現象している。(中略)人が住むそのことが、生活を始めるそのことが、別の空間を現象させることを意味する。すなわち、住むこと(住むという行為である生活)はひとつの空間をつくることになると言ってよい。(中略)<住むこと>と<建てること>(ハイデッガー)が分離してしまった現在において、建てる者、建築家に可能なことは、ただ人の住まう場を発生させる座標を提出、設定することに過ぎない。それゆえその住まう場の座標に、建築としての文化の水準、つまり<住むこと>の別の意味の水準が成り立たざるをえないことになる。『建築に内在する言葉(坂本一成)』

ボルノウにしてもハイデッガーにしても、あるいはバシュラールにしても、ある意味で<住むこと>と<建てること>の一致に人間であるための前提を見ているように思われる。しかし、前で述べたようにその一致は現代において喪失されている。だからこそ、まさにその<住むこと>の意味が問題にされる必要があるのだろう。だが、現代社会を構成する多くの人間にとって、この<住むこと>の意味はほとんど意識から遠ざかっているのではあるまいか。日常としての日々の生活を失っていると言っているのではなく、<建てること>を失った<住むこと>は、その<住むこと>のほんの部分だけしか持ちあわせることができなくなったのではないかということである。『建築に内在する言葉(坂本一成)』

生活が始まることで建築は設計者の手を離れて新しい空間となる。だとすると、その断絶を超えてなお、建築が住むことに対してできることはあるのだろうか。
これに対して、坂本氏は象徴の力を通して、人間に活気をもたらすための様々な手法を模索されているように思います。

精神が生きるということは人間の思考に象徴力を持続的に作用させることであり、精神が生きられる場はその象徴作用を喚起する場であるから、人間が住宅、あるいは建築に<住む>ためには、その場をも建築は担わざるをえないのである。『建築に内在する言葉(坂本一成)』

同じような視点からいくと、環境という同じ視点を持つことによって(つくること)と(つかうこと)の断絶を超えてつかう者にとっての(つくること)の一端を建築が担う可能性が開かれるのかもしれません。(かなり強引につなげると鹿児島の人にとっても桜島のような存在といえるかもしれません)
例えば「象徴」はその視点を定着させ断絶を超えるためのツールとも読めないでしょうか。
また、そのような断絶を超えられるかどうかが、建物が建築になれるかどうかに関わっているのかもしれません。

多木浩二は『生きられた家』で「生きられた家から建築の家を区別したのは、ひとつには住むことと建てることの一致が欠けた現代で、このような人間が本質を実現する『場所』をあらかじめつくりだす意志にこそ建築家の存在意義を認めなければならないからである」と述べている。これはつまり<建てること>の意識のうちで挟まれた<住むこと>の乗り越えを求めることを意味しよう。『建築に内在する言葉(坂本一成)』

建築家の存在意義に関する部分は非常に重いですが、そういうことなんだろうなと思います。
(つくること)と(つかうこと)の断絶の乗り越えは、もしかしたらそこに住む人よりも建てる側の問題、存在意義にも関わる問題なのかもしれません。そして、結果的に環境や象徴を通じて(つくること)を何らかの形で取り戻すことがそこに住む人が本質的な意味での(つかうこと)、すなわち生きることを取り戻すことにつながるように思います。

「複合」による乗り越え

今回はさらっと終わるつもりが長くなってしましました。後半はなるべく簡潔にまとめてみたいです。

本章では実際に住宅を設計するプロセスを分析しながら(つくること)と(つかうこと)を一元化する可能性が模索されています。

その分析の中で様々な要素に対して「出現」「消失」「復帰」「分岐」といった操作が抽出されています。
また、『操作同士が関係を結び始め、自ら新たな操作を生み出すというような自律的な変動』、操作の「連動」が抽出されます。
さらに、『変化を伴いながら連続するという変動は、その背後で複数の動きが関係し、一方の動きが他の動きを含みこむような複合的な過程』、操作の「複合」が抽出されます。
図式化すると(出現・消失・復帰・分岐)⊂(連結)⊂(複合)といった感じになるのかもしれません。
また、「複合」は『平行する複数の操作を含みこむような動きであり、また設計者にとっては「設計コンセプト」に相当するものの発見として報告されていた。つまり、「複合」は他の五つの振る舞いを含みこんだ「高次」な動きになっていたといえる」とあります。

もともと設計という行為はギブソン的な構造を持っていると思うのですが、「複合」はそれ以前の操作による環境の探索によって得られた「技術」のようなものとして現れたと言えそうです。それは、設計者がもともと持っていたものというよりは環境との関わりの中から発見されたもので、その「技術」には環境が内包されているため、(つくること)を超えて(つかうこと)においても新たな(つかうこと)を生み出す可能性を持っているように思います。
また、それは(うまくいけば)利用者が設計者がたどった過程をなぞることができるかもしれませんし、そこには設計者→利用者の一方的な押し付けではなく、同じ環境・景色を眺めているような共有関係が生まれるかもしれません。

以上の議論を踏まえると、前節で得られた「複合」としての振る舞いには、こうした「外部特定性」を獲得する振る舞いに相当する部分が含まれていると考えられる。なぜなら、「複合」とともにあらわれていた「設計コンセプト」としての「キノコ性」は、設計者が獲得したものでありながら、一方では対象地の与件に深く根ざしたものだからである。つまり「複合」とともにあらわれていた「キノコ性」は、Sによって特定されたこの案件の「不変項」として理解できる可能性がある。こうした理解が可能ならば、建築行為は、「設計コンセプト」の獲得という高次の水準においても環境と結びついており、生態学的な側面を必然的に含むものとして位置づけられると考えられる。

設計コンセプトというと何となく恣意的なイメージがありましたが、環境との応答により得られた技術としての、多くの要素を内包するもの(「複合」)と捉えると、(つくること)と(つかうこと)の断絶を超えて本質的な意味で(つかうこと)を取り戻すための武器になりうるのかもしれないと改めて思い直しました。

このような探索と定着のプロセスを通じて建築を目指すことを考えると、どうしても藤村さんの様々な取り組みが頭に浮かぶのですが、それらの手法がいかにエコロジカル(ギブソン的・生態学的)なものであるか改めて思い知らされます。

だいぶイメージはつかめてきた気がしますが、僕も実際に実践を通じて設計に落とし込めるよう考えていきたいと思っています。(今年度はバタバタと過ごしてしまったので、そのための時間を確保するのが来年度の目標です)

依存先の分散としての自立(熊谷晋一郎)

onokennote:『知の生態学的転回2』で今まで読んだ部分だと熊谷晋一郎氏の話が一番ヒットした。障害者の自立に関するリアルな問題が捉え方の転換で見事に理論と道筋が与えられていたし、固有の単語を設計を取り巻くものに変えてもかなりの部分で同じような捉え方ができそうな気がした。 [10/20]


onokennote:「予定的自己決定」と「後付的自己決定」。予測誤差の役割転換と分散化の有効性など、既出の設計に関する議論にそのまま援用できそうだ。 [10/20]


『知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境』「第4章依存先の分散としての自立(熊谷晋一郎氏)」について。一応今回で締める予定です。

依存先の分散としての自立

この章は脳性まひを抱え車いす生活を送る著者によるもので、自らの体験や歴史的な背景も踏まえながら自立とは何かをまさに生態学的転回のような形で描き出している。
建築設計そのものとは直接関連があるわけではないけれども、その捉え方の転回は見事で示唆に富むものだったのでまずは概略をまとめてみたい。

障害のあるなしに関係なく、子供たちにとっての大きな課題の一つに「自立」というテーマがあるだろう。(中略)私は、「自立の反対語ってなんだろう」という問いかけを行った。(中略)これらの意見のうちで、私が「やはり」という思いとともに、興味深いと感じたのは、「依存していない状態」というイメージで、自立という概念がとらえられているということだった。

自立がそのようにイメージされるのは容易に想像できるし、自分がそのようなイメージから自由であるか、と問われると心許ない。
著者は『何にも依存せずに生きている人など、存在しない』『「依存-支え」の関係がうまく動作し続けている”平時”においては、私たちは、自分の日常がどのような支えに依存しているかに無自覚でいられる」『「依存-支え」の関係が不可視であり続けている状況こそが、日常性をもたらしている』としたうえで次のように述べている。

障害者とは、「多くの人々の身体に合うようにデザインされた物理的・人的環境」への依存が、多くの人とは異なった身体的特性を持つことによって妨げられている人々のことである、と解釈することができるだろう。このように考えると、通常考えられているのとは逆に、障害者とはいつまでも何かに依存している人々ではなく、未だ十分に依存できない人々だと捉えることができるのである。環境との間に「依存-支え」の環境を十分に取り持てないために、障害者は日常性を享受しにくく、慢性的に”有事”を生きることになる。

そして、それが鮮明に可視化された震災での自らの体験を例に出して『私の考えでは、多くの人が「自立」と読んでいる状況というのは、何者にも依存していない状況ではなく、「依存先を増やすことで、一つ一つの依存先への依存度が極小となり、あたかも何者にも依存していないかのような幻想を持てている状況」なのである。』と述べる。

自立とは最初にあげたイメージとは逆に、無自覚に依存できている状態だというのはなるほどと思わされた。そして、共依存(「ケアの与え手が、受け手のケア調達ルートを独占することによって、受け手を支配すること」)という言葉を出しながら「依存先の分散としての自立」はどのように成立しうるかが問われていく。

痛みと予測誤差-可塑性

自立が『依存先を増やし、一つ一つの依存先への依存度の深さを軽減することで「依存-支え」関係の冗長性と頑強性を高めていくプロセス』だとすると、それを邪魔するものとして「痛み」があげられている。

著者は幼いころのリハビリ体験を振り返り、経験のない健常者と同じような動きを強要され、それが出来ないと心の問題にされてしまい、『目標のイメージと実際の動きが乖離してしまい、その予測誤差を焦りやこわばり、痛みとして甘受してしまう。その結果、ますますイメージと運動の乖離が拡がってしまうというふうな悪循環に陥って』しまう体験をあげながら、『(痛みによる)学習性不使用の悪循環から抜け出し、仕様依存先に可塑性を誘導するには、痛みとか失敗といったネガティブな予期を、必ずしもネガティブではないものへと書き換えるような、新しい文脈が必要になるだろう』と転回をはかる。

ここから先はとてもダイナミックな展開で面白いものだったので是非本著を読んで頂きたいのですが、続いて次のような問いが発せられる。

しかし他方でこの予測誤差は、「現在の予期構造は、現実と符合していない可能性がある」というシグンルでもある。そして、予期構造を可塑的に更新させるための動因として、必要不可欠なものだ。そう考えると、自分の予期構造を裏切るような予測誤差の経験を、どのような意味連関の一部に配置するかということが、可塑性誘導の成否を決める可能性があるだろう。予測誤差を、痛みとか、焦りとか、ネガテイブな意味を付与する意味関連の中に配置するのか、それとも、それに対してある種の遊びの契機、あるいは、快楽を伴う創造性の契機としての意味を付与するのかによって、可塑的変化の方向性は変わると思うのだ。
では、予測誤差の意味がある種の快楽に変換されるような文脈とはどのようなものか、というのが次の問いだ。

少し設計の話に戻すと、設計という作業も決して予定調和的なものではなく、さまざまな環境のもと予測誤差を含むものです。そして、それらは必ずしもそれまでの設計作業の流れから行くと歓迎されるものばかりとは言えません。では、どのようにそれらを「快楽を伴う創造性の契機に変換」し、前回までに書いたような可能性の海として捉えることができるのだろうか、いうなれば可塑性を獲得できるのかというのは興味深い問題です。

モノ・他者とのかかわり

さらに著者が一人暮らしをはじめ、トイレとの「遊びにおける失敗」といえるようなものを繰り返しながらの格闘を通じた経験をもとに論考が進められる。
試行錯誤の中で自らの行為のパターンが「自由度の開放→再凍結」という形で進みながら、便座のデザインも同じような「自由度の開放→再凍結」というプロセスを経ながら、お互い歩み寄る形で「依存-支え」の関係を取り結んでいく。
そして

この、自由度の開放→再凍結というプロセスは、完成品としての行為パターンや道具のデザインをうみおとすだけでなく、その過程で同時に、冗長性や頑強性という副産物をもうみおとす。なぜなら、あらかじめ一つの正解が与えられて、それに向かって訓練するのではなく、「どういう方法でもよいから、排泄行為をする」という漠然とした目的に向かって、断片的な素材を制作したり組み合わせたり、無駄をはらみつつ試行錯誤するため、否が応でも一つの目的にいたる手段が複線化するからである。結果、私のアパートのトイレには、一つの方法がうまくいかない場合の代替手段を可能にするようなアイテムが、いくつも常備されることになるのである。
そして、私の身体と便座双方の可塑的な変化を突き動かすものは、常に予測誤差という「うまくいかなさである。
リハビリにおける監視と裁きの文脈の中では痛みとして感じ取られていた予測誤差は、一人暮らしの「遊び」のような文脈に置かれるや否や、痛みというよりも、むしろ新しい予期構造への更新を突き動かす期待に満ちた動因として感じ取られ、私の探索的な動きを促したのである。その結果、私の身体と便座をつなぐ、新しい行為のレパートリーや道具のデザインがうみおとされ、徐々に自分の体のイメージとか、世界のイメージというものが、オリジナルに立ち上がっていった。

というような手応えを得る。

また、著者の一人暮らしは不特定多数の介助者という他者との関わりも必要とし、その経験も語られる。
他者との関わりは、著者のように密接に関わらざるをえない場合は特に、予測誤差の発生が不可避である。その予測誤差を減らすために、著者は相手を支配するのではなく、『触れられる前に、次の行為や知覚についての予期を、共同で制作し、共有する』という方法を重要視している。

介護を受け他者と密接に関わる場面でも、相手になったつもりで頭の中を再構成し追体験することで、相手の次の行為への予期が読めてきて、まるで相手を自分に「憑依」させるような感覚になれ、能動性を維持しうるという。

予測誤差を減らすために、あらかじめ固定化させた予期による支配を貫徹させようとする状況から、予期の共同生成・共有によって予測誤差を減らしつつ予期構造を更新させる状況へ移行すること。ものとの関わりにおいても、他者との関わりにおいても、「依存-支え」の冗長な関係を増やしていくためには、それが重要だといえる。そして、そのことを可能にするのは、予測誤差、言い換えれば他者性を楽しめるような、「遊び」の文脈なのだろう。

続いて、薬物依存症などの例を通じて「依存してはいけない」という規範的な方向ではなく、依存先を分散させていくことの重要性が語られる。
最後には、依存先の分散と孤独に触れながら、依存先の分散が万能ではなく、『依存先の分散は、孤独をなくさせるわけではない。そうではなく、孤独の振幅を小さくさせることで、「ちょっと寂しいくらい」の平凡な日常をもたらすのである。』と本章は締められる。

「予定的自己決定」的設計と「後付け的自己決定」的設計

では、先の『どうすれば設計における予測誤差を快楽を伴う創造性の契機に変換し、環境を可能性の海として捉えることができるようになれるか』という問いにはどう答えられるだろうか。
一つは、予測誤差を「遊び」の文脈に置くことでしょうか。それは、予測誤差をうむ他者を制約の発生源として見るのではなく、探索の共同者とみる視点を持つことだと思いますが、実践の現場でそれを行うには、設計のプロセスや他者との関わり方を見直し、新たにデザインすることが必要になってきそうです。それが今の自分の課題だと思っています。

そういえば、倉方さんの著作で決定に関わる「遊び」について触れられてました。
オノケン【太田則宏建築事務所】 » B120 『吉阪隆正とル・コルビュジエ』

また「決定する勇気」 の源といって良いかもしれないが、建築を『あそぶ』ということもコルから引き継いだものだろう。コルの少年のように純粋な(そしてある部分では姑息な)建築へのまっすぐな思いに触れ『あそぶ』強さも引き継いだに違いない。(ここまで記:太田)
『吉阪の魅力は、(機能主義、「はたらき」、丹下健三に対して)それと対照的なところにある。むしろ「あそび」の形容がふさわしい。視点の転換、発見、機能の複合。そして、楽しさ。時代性と同時に、無時代性がある。吉阪は、未来も遊びのように楽しんでいる。彼にとって、建築は「あそび」だった。「あそび」とは、新しいものを追い求めながらも、それを<必然>や<使命>に還元しないという強い決意だった。(括弧内追記・強調引用者)「吉阪隆正とル・コルビュジエ(倉方 俊輔)」』

最後の部分などまさに、という感じですが、コルビュジェや吉阪隆正に感じる自由さ・魅力のようなものはここから来るのかもしれません。

最後に、実は本章の注記の部分も密度が濃く示唆に富むものだったため、長くなりますが一部抜き出して考えてみたいと思います。

私は、自己決定や意思決定と呼ばれるものには、二種類のものがあるのではないかと考えている。一つ目は、行為を行う「前」に、どのような行為を行うかについての予測を立て、その予定に沿った形で自己監視しながら行為を遂行するというものである。これを、「予定的自己決定」と呼ぶことにしよう。リハビリをしていたころの一挙手一投足は、予定的自己決定だったといえるだろう。
二つ目は、さまざまな他者や、モノや、自己身体の複雑な相互作用に依存して先に行為が生成され、その「後」に、行為の原因の帰属先をどこにも求められず、消去法によって「私の自由意志」というものを仮構してそこに帰責させるというものである。これを「後付け的自己決定」と呼ぶことにする。一人暮らしの一挙手一投足の多くは、後付け的自己決定だった。
予定的自己決定だけで上手くいくには、「こうすればこうなる」という予期構造の学習が必要である。しかし、現実を完全に予測し尽くす予期構造を学習することは不可能であるし、もしも完全に予測できているなら、自己決定なしの習慣化された行為だけで事足りるだろう。予定的自己決定は、ある程度予期構造はあるが、不確実性も残されている状況下で決断主義的になされるものであり、否応なしにある確率で予測誤差が生じる。この時、予測的自己決定は断念せざるを得ず、後付け的自己決定に切り替えて探索的な行為を生成させることで、予期構造を更新させる必要がある。
後付け的自己決定が自由な探索を可能にする前提には、「行為の原因を帰属させられるような、突出して目立った依存先からの予測誤差を知覚できない」という条件がある。痛みなどの強い身体感覚や、顕著なモノや人からの知覚といった、目立った依存先からの予測誤差がある場合、自分の行為がその依存先によって、「仕向けられたもの」と原因帰属されるため、後付け的自己決定は失敗しやすい。たとえば、学習性不使用のように、痛みという目立った身体感覚によって行為が支配されている時には、後付け的自己決定による自由な探索は失敗し、その結果予期構造の可塑的更新がストップする。
「予期構造→予定的自己決定→予測誤差→後付け的自己決定→予期構造の更新→・・・」という循環が回り続けるためには、「各方面の依存先から予期構造を裏切る予測誤差が豊富に与えられるが、突出して目立った依存先からの予測誤差を知覚できない」ということが前提条件となる。そして、依存先の集中は、限定された依存先へと知覚を集中させ、その依存先を目立たせる可能性が高まるので、この循環を阻害しうる。むろん、依存先を分散させなくても、限られた依存先がひっそりと目立たず行為を支えることで、後付的自己決定が可能になることはあるが、それは予測誤差の知覚そのものを低減させることで予期構造の更新をストップさせる。しかも目立たない依存先への集中による見かけの安定性は、非常に脆弱な基盤の上に立った状況と言わざるを得ず、震災のような突発的な外乱によって、容易に依存先の(不十分さの)存在を目立って知覚させる。依存先の分散は、二つ目の自己決定の循環を可能にする法法の中でも最も頑強で公正なものだと考えられる。

ここで出てきた「予定的自己決定」「後付け的自己決定」というのは「予定的自己決定」的設計と「後付け的自己決定」的設計というように設計の場面でも適応できるように思います。
(これは『たのしい写真―よい子のための写真教室』で書いたブレッソン的建築、ニューカラー的建築とも対応しそうですし、dot architectsなんかの方法も分散化の手法と言えそうです。)

また、「後付け的自己決定」的設計を成功させるための鍵は、「各方面の依存先から予期構造を裏切る予測誤差が豊富に与えられる」ことと「突出して目立った依存先からの予測誤差を知覚できない」ことにありそうです。
(そういえば、『空間から状況へ(2001)』あたりでみかんぐみがパラメーターを豊富に集めて等価的に扱う、というようなことを書いていたような気がしますが(該当の文章が見つからない)、まさにこういうことを実践されていたのかもしれません)
では、「突出した依存先からの目立った予測誤差が知覚」される場合、例えば行政の仕事の場合に多いかもしれませんが、権力者であったり、前例主義であったり、好みであったりなどとの予測誤差が大きい場合はどうすればいいでしょうか
非常に難しい問題だと思いますが、ひとつ考えられるのは、他の依存先を増やしたり重要度をあげることで相対的に目立った依存先の占める割合を下げることがありそうです。もしくは信頼を積み重ねることで目立った依存先の絶対的な知覚量を減らし共同関係に持ち込むように力を注ぐか。
いずれにせよ、何らかの戦略を持つことが必要だと思いますが、本著で書かれているようなことはそのための礎になりうる気がします。


ここまで、本著の内容の一部をまとめて思ったことを書くという形で進めてきました。誤解が含まれているかもしれませんがある程度イメージはつかめてきたような気がします。

建築設計の場面で生物学的転回を目指すには
・環境を主観的な設計行為に対する制約として受け止めるのではなく、環境それ自体を可能性の海、能動的に探索する対象として捉え、知覚・技術・環境のダイナミックな関係性の中に置く。
・(つくること)と(つかうこと)のそれぞれの場面で上記のような関係性を考える。
・(つくること)と(つかうこと)の間の断絶を乗り越え、(つかうこと)の一端を建築が担う可能性を開く。環境はそれらをつなぐ可能性がある。また「複合」もしくはコンセプトはそれをより高次で維持するための武器となりうる。
・予測誤差を「遊び」の文脈に置き、予測誤差をうむ他者を制約の発生源として見るのではなく、探索の共働者とみる視点を持つ。
・「後付け的自己決定」的設計を成功させるために「各方面の依存先から予期構造を裏切る予測誤差が豊富に与えられる」ようにし「突出して目立った依存先からの予測誤差を知覚できない」状態を保つ。

ということがとりあえずはあげられそうです。(他の章も丹念に読みこめばヒントがありそうですが・・・)

そして、ではどのようにすれば、実際の現場でそれを実践することができるか。成功率をあげるためには具体的にどのような工夫ができるか。という宿題に対してはしっかり時間をとって考える必要がありそうです。




世界を眺め自分の自由を見つける。


自分の中に強さと自由を見つけること。
それを核にして<社会>や<世界>を眺めてみる。
また、<社会>や<世界>から自分の核を眺めてみる。
多分両者はフラットな関係。
全ては強さのために。全てはデザインのために。

オノケンノート » B043 『ル・コルビュジェの建築-その形態分析』

コルの発明はやっぱりコルの発明であって、自らの匂いを嗅ぎ取らないことには自ら人間味のあるものはつくることはできないと思う。そういう過程を抜き去ってしまっていて、コルを批判は出来ない。

それは、おそらく問いのたて方に問題がある。 「乗り越える」という意識はおそらく無意味なのである。 「コルがコルであった」という事実を他人が乗り越えられるわけがない。

オノケンノート » B148 『原っぱと遊園地〈2〉見えの行き来から生まれるリアリティ』

前著は比較的分かりやすく誰にでも”利用”できる内容だったように思うが、今回は打って変わって私的な部分が表面に出てきたように思う。

おそらく青木淳が開いた建築的自由というものは、最後のところでは青木淳のものであって、自分にとっての自由は自分で作り出すほかない。

オノケンノート » B120 『吉阪隆正とル・コルビュジエ』

彼の「決定する勇気」は、形態や行動の振幅を超えて一貫している。世界を自らが解釈し、あるべき姿を提案しようとした。あくまで、強く、人間的な姿勢は、多くの才能を引きつけ、多様に受け継がれていった。

オノケンノート » B146 『14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に』

僕は最終的には<私>に還らざるを得ないと思いますし、『すべてがデザイン』という姿勢が今の社会では生きやすいんじゃないかなと思うのですが、<社会>や<世界>を一度通してから<私>を考えた方が楽だったり『デザイン』しやすかったりすることも多いように思います。




B156 『思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ』

東 浩紀 (編集), 北田 暁大 (編集)
日本放送出版協会 (2009/05)

興味を持った経緯

藤村龍至氏による「批判的工学主義」「超線形設計プロセス論」をまとめた論が載っているというので今後の建築の議論の前提として読んでおいた方が良いのかな、と思っていたところにtwiiterで

ryuji_fujimura: 超線形設計プロセス論って、レムコールハースと伊東豊雄と坂本一成とSANAAとMVRDVから学んだ方法論。条件を読み込んで、スキームを揉んで行くうちにどんどん育って行く感じ。同世代では石上さんと長谷川の設計手法が似ていると感じる。/動物化せよ!!というアジテーションに乗っかれないニンゲン=学生が印象論的に嫌悪感を抱いているという印象。設計うまい奴ほど動物なのにね。 RT @saitama_ya もしかして超線形プロセスって設計行為を動物的な方向に持っていくものとして、学生に見られがちなのかしらん。。。


というのを発見。
実は結構自分の興味と重なるのではという気がしてきました。

onokennote: 学生のころ(10年ほど前)妹島さんにポストモダンを突き抜けた先の自由のようなものを感じたんだけど、藤村さんの理論はそれを方法論として突き詰めた、ということなのだろうか。だとすれば大いに興味がある。早く思想地図3号をゲットして東さんの動物化との関連を知りたい。 [12/02 09:21]


オノケンノート ≫ B008『妹島和世読本-1998』

今考えると、妹島の持つ自由さという印象は、モダニズムのさまざまな縛りから自由に羽ばたき、ポストモダンの生き方(建築のあり方)を鮮やかに示しているように見えたため、多くの若者の心をつかんだのだろう。 もちろん、妹島の建築は意匠的な狭義のポストモダニズムなどではないが、その思想の自由さには、やはりポストモダンを生きるヒントが隠されているように思う。

妹島さんにポストモダンを感じて以降、ポストモダンを生きる作法、意味を突き抜けた先にある自由のようなものに対する感心はずっと持っていて東 浩紀の動物化にも結構影響を受けたので、自分の興味とうまく繋がるんじゃないかという気がして早速図書館で借りてきて読んでみました。

まずは先に読んだ序章と藤村氏の部分について考えたことを書いておきます。
(twitter経由で本人が見られる可能性もあり多少尻込みしますが、不勉強な現時点での考えということで)

アーキテクチャの問題

まずはじめに前提となるアーキテクチャの問題について序章と冒頭及び共同討議の導入部を引用しておきます。

「アーキテクチャ」には、建築、社会設計、そしてコンピューター・システムの三つの意味がある。

この言葉は近年、批評的な言説の焦点として急速に前景化している。わたしたちは、イデオロギーにではなく、アーキテクチャに支配された世界に生きている。したがって、必要なのは、イデオロギー批判ではなくアーキテクチャ批判である。だとすれば、わたしたちはアーキテクチャの権力にどのような態度を取るべきなのか。よりよきアーキテクチャなるものがあるとすれば、その「よさ」の基準はなんなのか。そもそも社会を設計するとはなにを意味しているのか。イデオロギーが失効し、批評の足場が揺らいでいるいま、それらの問いはあらゆる書き手/作り手に喫緊のものとして突きつけられている。(東浩紀)

しかしいまや、権力の担い手というのは、ネットにしても、あるいは「グローバリズム」や「ネオリベラリズム」という言葉でもいいんですが、もはや人格を備えたものとしてイメージできない、不可視の存在に変わりつつある。(中略)しかし、その原因である世界同時不況がどうやって作られたのかというと、複雑かつぼんやりした話になってしまい、誰が悪いとは簡単には指差せない。(東浩紀)

僕がブログに感想を書いた本でいうと
オノケンノート ≫ B065 『ポストモダンの思想的根拠-9・11と管理社会』

自由を求める社会が逆に管理社会を要請する。 管理と言っても、大きな権力が大衆をコントロールするような「統制管理社会」ではなくもっと巧妙な「自由管理社会」と呼ばれるものだそう。

というのが近いかもしれません。

コントロールする主体がつかめず訳がわからないまま何かに支配されている、そういう感覚が広がる中そういう問題にどうやったらアプローチできるのか、という事だと思います。

地方における問題

onokennote: 工学主義をどう乗り越えるかは、ここ鹿児島でもというより地方でこそ本質的で重大な問題。鹿児島で感じるもやもやを明確に示して貰った感じがする。 [18:08]


工学主義の定義は後で紹介するとして、例えば、街並みがハウスメーカーの住宅やコンビニ、大型商業施設といったどこに行っても同じようなもので急速に埋め尽くされつつある、と感じたことは特に地方都市で生活する方なら誰でもあるんじゃないでしょうか。

個々にとっては例えば地元の顔のみえる商店街も大切だと思ったり、潤いのある街並みのほうが好きだという気持ちがあっても、なぜか先に書いたような画一化の波は突き進んで行くばかりで止められないし、どうすればよいか分からない。

東京などの大都市においては規模があるのである程度の多様性は担保されるように思いますが、地方においては、その人口・経済規模の小ささ、情報伝播量の少なさから画一的な手法に頼りがちでこういった状況がより加速しやすい。と、鹿児島に帰ってきたとき最初に感じました。

皆があるイメージを共有し自らの判断の積み重ねでこの問題をクリアしていくのが理想だと思いますが、実際にはこのアーキテクチャの権力は強力でなかなかそれを許してくれないように思いますし、アーキテクチャの問題は地方でこそより切実だと感じます。

批判的工学主義

onokennote: 思想地図の藤村氏の論を読む。工業化→批判的機能主義(コルビュジェ) 情報化→批判的工学主義 の比較は非常に明確で食わず嫌いでいる必要は全くない [12/02 18:05]


こういう問題に対して藤村氏の提唱する「批判的工学主義」は思考の枠組みを与えてくれます。

本著を読むまではヒハンテキコウガクシュギと聞いて既存の単語のイメージを当てはめても何のことかよくわかりませんでした。
しかし、読んでみれば難しい話でなく、おそらく機能主義とコルビュジェの成果を知っている人であれば誰でも理解できるものでした。

工学主義の定義の部分を引用すると

東浩紀は、社会的インフラの整備による技術依存が進む私たちの社会環境の変化を「工学科」と呼び、整備された環境のもとで演出された多様性と戯れる消費者像の変化を「動物化」と読んでいる。(中略)ふたつの変化が同時進行する状況をひとまず「工学主義」と名付け、「建築形態との関係から、以下のように定義したい。

1.建築の形態はデータベース(法規、消費者の好み、コスト、技術条件)に従う
2.人々のふるまいは建築の形態によって即物的にコントロールされる
3.ゆえに、建築はデータベースと人々のふるまいの間に位置づけられる

まだよくわからないかもしれません。本著に載っている下の表がわかりやすいです。

[社会の変化と建築家の動き]
table1

「工業化」による機能主義に対してコルビュジェらは単に肯定するのでも抵抗するのでもなく、『「機能主義」を新しい社会の原理として受け入れ、分析的、戦略的に再構成し、20世紀の新しい建築運動として提示』しました。その後コルビュジェらの建築は世界中に伝播し風景をガラリと変えました。(その広がりの裾野に行くに従い「批判的」の部分は徐々に失われてただの機能主義になっていったように思いますが)

「工業化」に対し「情報化」を当てはめ同じように考えた場合、”単に肯定するのでも抵抗するのでもなく、『「工学主義」を新しい社会の原理として受け入れ、分析的、戦略的に再構成し、21世紀の新しい建築運動として提示』”する第3の道の立場がありうることは誰にでも理解できると思います。

超線形設計プロセス論は風景を変えうるか

その第3の道の立場を実践するための方法論として藤村氏は「超線形設計プロセス論」を提唱しています。

詳細は本著を読んでいただくとして、この方法論の特徴の一つとして著者は「スピードと複雑さの両立」をあげていますが、これらによって例えば今の風景を変えることは可能でしょうか。

これに対してはよくわからなかったというか、あまたある設計手法の一つであって他の手法とそれほど大きな違いはないんじゃないか。というように感じていました。

だけど、今日、なんとなくどこの誰が設計しかも分からないような変哲もないマンションの前にたって、これが超線形設計プロセスで設計されたものだったらと想像してみると、何か可能性のような物が見えた気がしました。
誰もがこの風景を少し変える方法論を身につけたとしたら、少し変わるのかな。と

onokennote: 何でもない羊羹形のマンションの前に立ち、これが超線形設計プロセスで設計されたものだったらと想像してみた。確かに街の風景を変えうる可能性がある。風景を変えるには、誰でも(例えば地方の組織系ともアトリエ系とも言えない設計事務所でも)使える汎用性のあるツールでなければならないと思う。そのためには組織系、アトリエ系それぞれに対応するパラメータの抽出と、それらを統合するノウハウの集積が必要。(前者は実現可能性を高め、後者は伝播力を高める。どうせなら、WEB上でノウハウと事例を集積・公開し、集合知を形成するようなシステムと教育システムの構築までいって欲しい。そこまでいって初めて風景を変える力を持ちうるのだと思う。超線形設計プロセス理論に反感を覚える人は、これがアトリエ系とはまったく別のアプローチで汎用性を目指し長期的視点を持ったものであることを理解すべき。


誤解が含まれているかもしれませんが、重要だと感じたのは

・誰でも利用できること。
・組織型・アトリエ系それぞれの長所を結びつける手法であること。

だと思いました。
(アレグザンダーとの決定的な違いは何かということについてはまだ理解が足りない)

最初は「スピードと複雑さの両立」だけで何が変わるのか、と思いましたが、それらはパラメータの一組に過ぎず重要なのは、組織型・アトリエ系の再統合にあるのだと思いました。(例えば前者は実現可能性を高め、後者は伝播力を高める)

特に前例のコルビュジェは伝播力という点では天才だったと思いますし、彼は機能主義を「乗り越えた」というよりは自分のやりたい事のために「利用(戦略的に再構成)した」のだと思います。

藤村氏もメディアの利用や啓蒙するスタイルはコルビュジェに似ていると思いますが、コンテンツにおくウェィトは少し違いがあるように思います。学生たちの反応をみると、初期導入の部分ではコンテンツのウェイトを増した方がうけが良いようにも思いますが、そこは汎用性のあるプロセスを鍛えるためにあえて抑えているのかもしれません。
(こんな発言も)

ryuji_fujimura: と、強気な主張をしつつも、オリジナルのスタイルを確立してファンとだけ仕事をするサッカがうらやましく思えたりもする。「厨房には立ち入らないで下さい」とか言ってみたい。よほど自信が無いと言えないからそれが言えるだけでもすごいとは思う。


超線形設計プロセス論は風景を変えうるか、ということについてはまだ分かりませんが可能性のひとつのとしてはあるように思います。

批判的工学主義の立場を取る際の方法論は他にもあるかもしれませんし、アーキテクチャへのアプローチは今後意識するようにしようと思います。

ポストモダンを生き抜く作法となりうるか

僕の個人的な興味である、建築が”ポストモダンを生き抜く作法”を体現できるか、という意味での「動物化」との関連はよくわからなかったのですが、もしこのプロセスの応用によって、意味に頼らずとも魅力的なものができるのであれば可能性はあるのかもしれません。

最初の引用を繰り返すと

ryuji_fujimura: 超線形設計プロセス論って、レムコールハースと伊東豊雄と坂本一成とSANAAとMVRDVから学んだ方法論。条件を読み込んで、スキームを揉んで行くうちにどんどん育って行く感じ。同世代では石上さんと長谷川の設計手法が似ていると感じる。 [02:06]


ここに挙げられている方たちの建築は共通して”ポストモダンを生き抜く作法”を体現しているように見えます。

僕自身はそれに対して方法論を持ち合わせていないので、もう少し方法論に対して意識的である必要があるかもしれません。




『ウィンドウ・ショッピング』の世界展 ギャラリートーク


RAIRAIで『ウィンドウ・ショッピング』の世界展のギャラリートークがあったので行って来ました。

鹿児島大学准教授の井原慶一郎さんとイラストレーターの大寺聡さんのコラボレーション。
展開がまったく予測できなかっただけに楽しみにしていた展覧会です。

ギャラリートークでは展示されている作品の背景などを順に説明して下さって興味深い話を沢山聞くことが出来ました。

この展覧会のもとになった『ウィンドウ・ショッピング―映画とポストモダン』は特定のメッセージを声高に主張するようなタイプの本ではなさそうです。研究の一成果の中からどういうメッセージをうけとるのかは個々が何を感じ考えるのかによるのかもしれません。(まだパラパラとしか読んでいないので誤解しているかもしれませんが)

そういう意味では特定のメッセージと言うよりはこの本をきっかけとした大寺さんの世界観が展示されているのだと思います。そこにコラボレーションの面白さがあると思うのですが、その世界に羨望の視線を送りながらも、職業柄かこの本で提示されている視点を僕の中でどう位置づけたらいいのかということに興味が向きます。

管理された視線?

ギャラリートークを聞きながら印象として浮かんだのが「移動性をもった仮想の視線」というものも管理された視線でしかないのではということ。
大寺さんのsale@departmentという作品の中、エスカレーターに乗っている人たちは主体性を剥ぎ取られた監獄の中の人のように見えました。

「パノラマ、ジオラマ、ショーウィンドウ、パサージュ、デパート、万国博覧会、パッケージツアー、映画、ショッピングモール、テレビ&ビデオ、ヴァーチャルリアリティ・・・」、どれも見る側と見られる側、見る空間と見られる空間がはっきりと区別でき、その視線はあらかた計画・管理されたものでしかありません。

パノプティコン(全展望監視システム)の断面が描かれた作品がありましたが、「移動性をもった仮想の視線」は見られる側に主体性を与えているようで、管理の仕方が実はより巧妙になっただけではないのかなと言う気がしました。
例えばショッピングモールにしてもそのミニチュア世界の完結した中で自由に振舞ってもらっている限り、客を管理することは容易になります。
オノケンノート ≫ B065 『ポストモダンの思想的根拠-9・11と管理社会』

自由を求める社会が逆に管理社会を要請する。 管理と言っても、大きな権力が大衆をコントロールするような「統制管理社会」ではなくもっと巧妙な「自由管理社会」と呼ばれるものだそう。

後で井原さんに聞いてみたところもともとはフーコーがパノプティコンを引用して描いた主体と、ここでいう遊歩者は対立する概念だったようですが、パノプティコン的遊歩者というような概念も後に提示されているようでした(間違ってたらごめんなさい)。

想起するキーワード(備忘録として)

わけが分からないと思いますが、この展覧会の前後に浮かんだキーワードを備忘録として時系列で並べてみます

移動する仮想の視点-現実の再現
リアリティリアル-フィジカル
コルビュジェ建築的プロムナード写真→映像
アフォーダンス移動する視線環境とのインタラクティブな関係リアリティ
ミニチュア
ポストモダンシミュラークルアートデザインの役割
パノプティコン管理社会
受動性と能動性モチベーションの減退
スーパーフラットバリアフリーメンテナンスフリー○○フリー
歴史の消滅時間・記憶の消滅

なんとなく「ウィンドウ・ショッピング」的なるものに否定的な見方になってしまいそうですが、否定的な部分とそうでない部分も混ぜ合わせたようなイメージがもてればいいなと思います。

また、最近の伊東豊雄や青木淳の「動線体」、藤本壮介初め若手建築家などをみると、「見る側と見られる側、見る空間と見られる空間」のような単純な図式を溶解させることによって新しい主体性を得ようとしているように思いますが、これとうまくつながるのかどうか。

8月11日まで

展覧会は明日(本日)8月11日19時までです。まだの方は機会があれば是非。

ちなみに、大寺さんのヴィジュアルブック(写真左・500円)はかなりオススメです。

『ウィンドウ・ショッピング―映画とポストモダン』はじっくり読んでいずれ感想書く予定です。




W033『世界平和記念聖堂』


□所在地:広島県広島市中区幟町4-42
□設計:村野藤吾+近藤正志/村野・森建築事務所
□用途:聖堂
□竣工年:1954年

建築マップ 広島県 世界平和記念聖堂

”反コルビュジェ”的手法で表現された祈りの空間。 丹下のピースセンターと並び称されるべき、表現派の傑作だ。

この聖堂はコンペを行ったものの最終的に審査員の一人であった村野藤吾が設計をおこなったそうですが、その経緯も上記サイトに詳しく書かれています。

ここを訪れる前に詳しく知っていたわけではなく、傑作といわれるものを一度見てみよう、というぐらいの感じで立ち寄ったのですが、この建物に近づき外観があらわになるにつれ、これはやっぱりすごいとテンションがあがってしまいました。

建築にかける思い

なにが、そんなにすごかったかというと、それはやっぱり村野藤吾の建築にかける思いがそのまま建築になっていることです。

『建築はその設計者の姿をしているのが一番いい建築。』と内井 昭蔵が書いてますが、まさに設計者の姿をしている建築と呼んでいいような気がしました。

ええっと思うようなところまで現場打ちのコンクリートで作られていますし、手すりなどのディテールは勿論のこと、壁の表情・レンガの一つ一つにまで設計者や施工者の思いが詰め込まれているのを全身で感じます。
ただ部分をみてすごい、というのではなくて、うまく説明が出来ないけれども『全身で』思いを感じるのです。

こういうのはその場に立ってみないと本当に感じることは出来ないし、傑作と言われるものはその建築を生で体験して初めて本当に傑作であることが分かるんだなと改めて思いました。

ごくまれに感じることがありますが、この建築も奇跡のような建築だと思います。

突然訪問したにも関わらず、教会の方に、パイプオルガンや地下聖堂、鐘楼内部と普段入れないところまで案内していただきました。(ちょうど同じ時間に福岡からも見学に来られた人がいたので一緒にまわらせてもらいました。)

村野さんのこだわりや当時の話、いろいろな場所にこめられた意味などを詳しく教えてくださって、ほんと想定外の大収穫でした。
想定外でしたしあまりに親切に話をしてくださったので、ボイスレコーダーかせめてメモ帳を持っていくんだったと、ちょっともったいなく思いましたが。


[gmaps:34.39559632144017/132.46778011322021/17/460/300](comment)[/gmaps]




W032『広島平和記念資料館+平和記念公園』


□所在地:広島市中区中島町1
□設計:丹下健三計画研究室
□用途:資料館
□竣工年:1955年

建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園

復興広島や建築家丹下健三のみならず、戦後の日本建築はここから始まったと言っても過言ではない、記念碑的な建築である。

上記建築紹介サイトにかなり詳しく書かれているので興味のある方は目をとおしてみて下さい。

景観軸

景観軸はこの公園のキーともいえるけれども、(■平和記念公園マップ)記念碑のシェルから、平和の池、その奥にゆらめく平和の灯と重ねて原爆ドームを見るとき、何かを感じずにはいられません。

軸やシンメトリーという古典的な手法の威力を思い知った気がします。

ただし、この公園の性格がその強さを受け止めるだけのものであったのと、次に挙げるスケールの共存によってあり方としての複雑さが保たれているのとがこの手法をアリにしてると思うので、シンメトリーなどの安易な使用は可能性を殺すと思いますが。

スケールの問題

建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園

丹下健三がヒューマンスケールからの脱出を試みたことは人類史上の必然であり、決して間違ってはいませんでした。ただ人口減少に振れた日本では状況が変わってしまい、その変化に対応した方向転換ができず惰性で突き進んでしまった、ということだと思います。 東京都庁はヒューマンスケールからの脱出の悪い点をギュッと凝縮した題材と言えるでしょう。

スケールの問題にしても決してヒューマンスケールが万能だとは思わないし、『社会的尺度』だけが正解とも思えません。
今一度、真剣に考えても良い題材だと思います。

わたくしは、広島の平和会館の実施設計にあたって、人間の尺度と社会的人間の尺度の二つの尺度の対位によって建築を構成してみようという野心をもっていた。(雑誌「新建築」1954年1月号よりの引用を孫引き)

とあるように、この建築および広場では社会的尺度の建築と同じような強さで今そこにいる人たちが存在していること、二つの尺度が(必ずしも対位による必要はないと思うが)存在することが成功の要因ではないかと思います。

それはコルビュジェのもつ複雑さや寛容さを素直に引き継いだ結果なのかもと思いました。


[gmaps:34.3917894563454/132.45215892791748/15/460/300](comment)[/gmaps]




B133 『建築をつくることは未来をつくることである』

山本 理顕 (著)
TOTO出版 (2007/04)


新しく開校したY-GSAのマニュフェストを軸に書かれたもの。
一見キャッチーなタイトルですが、そこにはY-GSAの校長にもなった山本理顕らしいストレートで熱い思いが凝縮されています。

想像力をはばたかせて未来を想像したことがありますか。

なぜ、私たちは「未来」「夢」「希望」というそれぞれに個別の意味を持つ言葉たちが、相互に関係があると考えたのだろう。それは、自分たちの願望や希望は単なる夢で終わるのではなくて、確実に実現すると思っていたからである。未来は私たちの夢が実現する未来だったからである。なぜ、そう思うことが出来たのか。
建築が未来を担ったからである。未来の都市が輝いていたからである。逆に言えば未来がこんなにも矮小化されてしまったのは、新しい建築に対して何の期待もしないようになったからである。私たち建築家が矮小化された未来に見合う程度の建築、単に現実を追認するような建築しかつくらなくなったからである。
矮小化された未来は新しい建築を必要としていない。それでは、新しい建築を必要としている未来社会はどのような社会なのか。それを私たち自身が問われているのである。その問いに答えることが建築をつくるということの意味である。建築をつくることは未来をつくることなのである。(はじめにより)

これを読んでどう思うでしょうか?
誇大妄想の建築家の思い上がりと思うでしょうか?ハコモノ依存の時代遅れのたわごとだと思うでしょうか?

そう思った方は自分の想像力の限り夢のある未来を想像したことがあるでしょうか?
はじめから未来を描く事を放棄して、今の制度や常識の殻の中に閉じこもっていないでしょうか?

歩いているだけでいろいろな関係性に触れることができ、自由で活き活きとした街は想像できないでしょうか?

建築はハコモノに意味があるのではなくて、そこでどういう豊かな生活が営まれるのか、どういう豊かな関係が紡げるのかに意味があると思います。
それがどんなに小さいものであっても、そこで豊かな関係が生まれればすばらしいし、同じつくるのであれば欲望のつまったものより夢のつまったものがいい
建築はそういう想像力を持った人たちのもとでなければ決してよいものは生まれないし、『現実を追認するような』ことばかりをよしとする社会では『現実を追認するような』ものしか生まれない。
建築家にとって想像力を刺激するのは大切な仕事でもあるだろうし、未来に対する想像力が社会に生きているかが生命線でもある。

また、この本を読んで、今必要なのは生活に対する想像力とそれを共有し拡げていく創造性ではないかと、改めて感じたところです。

以下、備忘録とメモ

***メモ***

その時に稲葉さんという人が「みなさん色々言うけれど、今、ここにいないもっと若い人たちや子供たちの事を本当に考えているのか」と問いかけたのです。稲葉さんの一言で、自分こそ今どうしたいか訴える権利があるかのように喋っていた人たちが、みんな黙ってしまったんですね。つまり、目先のことや自分自身の権利ばかりに気を奪われ過ぎてるんじゃないかと、多くの住民たちが稲葉さんの一言で気がついたのだと思います。(山本理顕)

■そういう想像力をいかに働かせることができるか。

マニフェストの第2パラグラフに<それでも建築はその社会のシステムに服従することを意味しない>とありますが、これがすごく大事な言葉なんです。便利に使われる建築をつくるのではなくて、建築が社会をつくっていく意識。(北山恒)

■これってすごく理解してもらいにくいことだと思う。けれど、<便利に使われる>だけの方が楽だからとこうした意識を忘れてしまえば建築をやる資格なんてないんじゃないかと思う。

とりわけ公共建築の設計をしていると、行政が求めているものはこうした既存の形式である事を強く感じます。そこには「未来」という視点は希薄で、現状の様々な要望やクレームに答えていくだけのストーリーが求められている気がします。
予定調和的な形式の建築というのは、予定調和的なアクティビティしか想定されていません。しかし、建築家の本来の役割は、この予定調和的なアクティビティ以上の、発注者の予想を上回る「未来」に向けた想像力を働かすことだと思います。(飯田喜彦)

■行政の中の人たちは個々では理解してもらえることもあるだろうけど、それをその人の立場の中で実行してもらうことは非常に困難。少しずつ変っていけばいいけど。

そこでコルビュジェが太字で強調したいことというのは、「いきいきとした生」ということです。コルビュジェは、形式的なものと生活的なものを同時に実現したがっているのです。(中略)それであのような、難しいことは何ひとつ書かれないという本になった。(西沢立衛)

■さすがコル。「同時に」という貪欲さと強さを持ってます。

今の時代になって、ようやくそうしたことが建築の問題として考えられるようになったと思うんです。高齢者介護や子供の養育など生活に関わる多くのことが、家族、あるいは個人の問題としてでは対処できないことが明確になってきたからこそ、共同体=コミュニティについて改めて真剣に考える必然性があると思います。つまり考えざるを得ない
(山本理顕)

■抽象的ではなく現実的な問題としてのコミュニティってところから可能性が広がりそうな気がする。

でも、現代社会が新たな地域社会を必要としているのだとすれば、それを建築がシンボライズする役割があると思う。(中略)そのためには、建築の存在自体が強いシンボルになるようなつくり方をする必要があると思う。表層的なものがシンボルになるとは思えませんからね。そうしたシンボル性を求めた時、構造形式がいっそう重要になってくると思います。(山本理顕)

■タブー化されてたシンボル化の見直し。そういう近代建築の教義化のなかでタブー視されたものの見直しや、ありかたのずらしっていうのが必要かも。

未来の環境を描くという役割は、建築の最も根源的な役割だと思います。建築家に求められているのは、いつの時代でも、その「未来」に対する想像力です。そして、その未来の建築を待っている人たちがいるのだと思う。その期待に応えることが<建築をつくること>だと思う。

■やっぱり「想像力」がキー。




原理・原則と強度について

原理原則だけでは息が詰まってしまう。

例えばコルビュジェは周りに原則を説いたけど、その原則を遵守すれば建築的強度が得られるかと言うとそうではない。
当のコルビュジェは原理・原則を超えた自由を愛したように思う。
それによってしか強度は得られないのではないだろうか。




B120 『吉阪隆正とル・コルビュジエ』

倉方 俊輔

王国社 (2005/09)
都城のシンポジウムにも来られていた倉方さんの著書。

この時の倉方さんの発言が 理路整然としていて分かり易く、頭のいい人だなぁ、と思ったのと、コルと吉阪の両者は最近僕の中のキーマンとして再浮上してきていることもあって図書館で借りてきた。

コルビュジェという「個性」に出会い、吉阪隆正という「個性」が誕生する様子がよく分かる。

コルビュジェは多面的な要素を内包しつつもそれをうまく調整しながら 対外的に立ち回ってきたように思うが、吉阪はその多面性を引き継ぎつつそれを拡張し続けたように思う。それが、吉阪のつかみ所のなさと魅力になっているのだが、倉方さんの”つかみ所のなさに苦労しつつもその魅力をなんとか伝えたい”という思いが伝わってきた。

さて、吉阪はコルからなにを学び、私たちは彼らから何を学ぶべきだろうか。

まず、吉阪がコルから受け取った一番のものは「決定する勇気」であり、そこに吉阪は「惚れ込んだ」ようである。

彼の「決定する勇気」は、形態や行動の振幅を超えて一貫している。世界を自らが解釈し、あるべき姿を提案しようとした。あくまで、強く、人間的な姿勢は、多くの才能を引きつけ、多様に受け継がれていった。

吉阪の人生に一貫するのは、<あれかこれか>ではなく<あれもこれも>という姿勢である。ル・コルビュジェから学んだのは、その<あれ>や<これ>を、一つの<形>として示すという決断だった。

多面性を引き受けることはおそらく決定の困難さを引き受けることでもあるだろう。
しかし、コルは多面性を引き受けつつも魅力的な解釈を生み出し、決定していく強さを持っていた。
それこそがコルの一番の魅力であろうが、吉阪はそこに惚れ込みコルの持つ強さを引き継いだ。とすると、まさにその強さによってその後の「対照的なものを併存させる」ような思想を展開することが可能となったように思う。

また「決定する勇気」 の源といって良いかもしれないが、建築を『あそぶ』ということもコルから引き継いだものだろう。コルの少年のように純粋な(そしてある部分では姑息な)建築へのまっすぐな思いに触れ『あそぶ』強さも引き継いだに違いない。

吉阪の魅力は、(機能主義、「はたらき」、丹下健三に対して)それと対照的なところにある。むしろ「あそび」の形容がふさわしい。視点の転換、発見、機能の複合。そして、楽しさ。時代性と同時に、無時代性がある。吉阪は、未来も遊びのように楽しんでいる。彼にとって、建築は「あそび」だった。「あそび」とは、新しいものを追い求めながらも、それを<必然>や<使命>に還元しないという強い決意だった。(括弧内追記・強調引用者)

多様性や格差が言われる今の時代に多面性を引き受けずに単純な結論を出すことはおそらく不可能だと思う。(誰のための必然・結論か、という問題が必ず現れる)

そんな中にあっても、多面性を引き受けその中に意志を見出し決定する勇気は、今こそ必要であろう。

そういう勇気と決断力を持ち、形にしていく(イメージ化し実践する)能力があり、またそれを「あそび」へと 転化できるような才能が待たれているのかも知れない。




B117 『藤森流 自然素材の使い方』

藤森 照信 (著), 大嶋 信道 (著), 柴田 真秀 (著), 内田 祥士 (著), 入江 雅昭 (著)

彰国社 (2005/09)

技術とは何だろうか。と考えさせられる。
藤森さんのやってること(技術)はその筋の人が見ればもしかしたら子供だましのようなことかもしれない。
だけれども、藤森さんは自分で考え手を動かす。
それによって近くに引き寄せられるものが確かにある。

藤森さんは自分のことを建築家というよりは職人だと位置づけているようだ。
専門化が進む中、技術に対して恐れを持たずに自分の頭や手に信用を寄せられるのはすごいことだと思う。
今の建築は気を抜けばすぐにカタログから選んだ工業製品の寄せ集めになってしまう。(その原因に技術に対する恐れが多分にあると思う)
工業製品を一つの素材と捉えて、そこに命を吹き込むこともできるだろうが、それを意識的に行うのは相当な腕がなければ難しい。

なんというか藤森さんにはコルビュジェと似た匂いを感じる。(きっと本人も自覚していると思う。)
コルビュジェが庭園を語りながら、建築が植物に飲み込まれるのを恐れて植物から距離をとった、というような分析があったが、 なんとなくそれに対するリベンジのような感覚じゃないだろうか。だけど、藤森さんのやってることはかなりギリギリのところだと思う。
自然と人工の関係を扱うには藤森さんのような濃さとバランス感覚がないと、あっという間に胡散臭いエセ自然になってしまう。
藤森さんの建物でさえ、そのまま屋久島なんかに持っていったら自然に飲み込まれて胡散臭いシロモノになってしまうのではないか。藤森VS屋久島是非対決を見てみたい




B112 『ル・コルビュジエ建築の詩―12の住宅の空間構成』

富永 譲
鹿島出版会(2003/06)

またまたコルビュジェ。
またまた溜息が出ます。
あ゛ーとかう゛ーとか言いながら読んでいたので妻はさぞかし気味が悪かっただろう。
象設計集団のときも同じように溜息が出たけど、あー豊かだなぁと感じるわけです。
コルビュジェ、吉阪隆正、象設計集団
という溜息の連鎖に、藤森照信が紹介する住宅を加えて、なぜそれらを見ると溜息が出るのかを考えてみると、そこには関わった人の顔が見える気がします。

鹿児島市などの地方都市で特に顕著だと思うのですが、街を歩きながら建物を見ても、そこに見えるのはメーカーやディベロッパーの顔だったり、工場のラインや収支計算書の数字だけしか見えてこない、つまりはその奥に”金”しか見えてこない建物ばかりになりつつあります。
それに関わっている人間の顔が見えてこないのですね。
こんな建物だけで埋め尽くされた街で子供が育つと考えただけでぞっとします。

だけど、先に挙げた溜息建築には使う人の生き生きとした顔だけでなく、設計者がアイデアを思いついたときの少年のように喜ぶ顔まで思い浮かびます。
そんな生き生きとした建物があふれる街のほうが楽しそうだと思いませんか?

あとがきで著者が

具体的な物のキラメキに出会えるような批評、読み込んでいくと、すぐに新たな設計の筆をとりたくなるような研究。本書がそんな類のものになっているかどうかは分からない。

と書いているけど、そんな心配は無用。コルビュジェの作品そのものにそんな建築少年の心を呼び戻す力がある。
ある意味、そんな建築少年、建築オジサンを生み出しているという意味ではコルビュジェは罪な人ですが。

本書を読んで浮かび上がってくるのは、多様な軸、多様な要素、多様な欲求・・・多様なものを重ね合わせ、関連付け、秩序付ける力とそこから飛び出そうとする力が均衡するコルビュジェの建築であり、そこには一つの視点からでは捉えきれない奥行き・多様性がある。
それは、コルビュジェ自身の持つ奥行き・多様性であるし、それがそのまま建築に表れているから、そこにコルビュジェの魅力を感じ取り僕は思春期の少年のように溜息が出てしまうのだ。
あー、こんなにもわくわくしたんだろうなぁ、と。




DVD 『博士の愛した数式』

博士の愛した数式 寺尾聰、小川洋子 他 (2006/07/07)
角川エンタテインメント


週末にDVDを借りてきてよく観るのだけど、映画についてコメントするのはどうも苦手。
そんななか、これはちょっと感想を書いておきたい映画だった。

”数式を愛する”っていうのをテーマにどう描くのだろうかと、前から気になっていたのだけど思ってた以上に良く描かれていて、まったく嫌味なく数の神秘を感じさせてくれます。

数字という記号そのものは人間の使う道具の一つに過ぎないのかもしれないけど、その道具を通して見えるのは自然であり宇宙の仕組みである。
それは浅はかな人間の考えをはるかに超えて、寛容に全てを包み込むように存在している。
博士が包み込むような優しさを持っているのはそのためで、きっと数式を通してまっすぐに真理を見つめているのだ。

建築でも古代のオーダーからコルビュジェのモデュロールとその多くの歴史は数字に魅せられて来たと言ってもいい。
それによって、建築の中に自然の寛大さを得ようとしてきたのだと思う。

自然のエッセンスを獲得しているものに触れると、私たちの中のDNAに刻まれた自然のかけらが共鳴する。
自然のかけらを鳴らす技術を磨かないといけない、と改めて感じたのだが、そういうエッセンスを見事に表現した映画でした。

他にもオートポイエーシスやその他生物システム論などヒントになる気がする。アフォーダンスの佐々木正人氏は精力的にデザイン関連の本を書いている。面白そう。