B171 『アーキテクト2.0 2011年以後の建築家像』


藤村 龍至 (著), TEAM ROUNDABOUT (著)
彰国社 (2011/11)

サブタイトルに「2011年以後の建築家像」とありますが、建築家像は果たして更新されるべきなのか、更新されるとすればどういったものになるのか、自分はどういったスタンスでこの仕事に携わっていくべきか、という問いについて何らかのヒントになればと思い買って来ました。

アーキテクト2.0とは何か?

本書の狙いは以下のとおりである。まず、「情報化」と「郊外化」を1995年以後の建築・都市領域起きたもっとも重要な変化の代表例として位置づけること。そのうえで、そこで起きた建築家の役割の変化を見極め、問題意識を広く共有し、2011年以後の建築家の可能性を討議することである。

table3
上の引用文・表のように序文で本著の狙いとその前提が明確にまとめられており、その後の対談からありうる次の建築家像を読者が共に発見していくというような構成になっています。
表の2011年建築の動きの部分が空欄になっていますが、ここにはおそらく著者達の活動や本書に収められていることが入るのでしょう。

さらに本書のタイトルの説明としてこの表の2011年以後の部分に当たる部分を引用すると

2011年以後の「アーキテクチャの時代」に求められるのは縮小/エコロジー/新しい公共/パートナーシップ/コミュニティといった社会のニーズを汲み取りつつ、ボトムアップ/地域主義/シュミレーション/アルゴリズムといった方法論を駆使して人々のコミュニケーションの深層を設計する「アーキテクトとしての建築家」である。本書ではさしあたりこれを既存の「建築家」と区別し「アーキテクト2.0」と名付けておく。

とあります。
「アーキテクトとしての建築家」というと語義重複のようにも感じますが、”アーキテクト”は『思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ』などのそれまでのアーキテクチャに関する議論を受けてのもので、アーキテクチャを何らかのかたちで引き受けようとする人、という意味が込められているのだと思います。(引き受けるという表現は完全にはしっくり来てませんが)

アーキテクチャの問題をどういう形で引き受けるのか

僕は藤村さんと同年代で1995年ごろの、特に「郊外化」に対する問題意識から建築をスタートしているので、『そういう郊外的な希薄さが都市の全体を覆ってしまった現代において、どうやったら濃密さを取り戻すことができるのだろうか』という問題意識には完全に共感できるし、その問題に向き合うには『思想地図〈vol.3〉』のところでも少し書いたように、一種の権力でもあり地方においてより切実であろうアーキテクチャの問題をなんらかのかたちで引き受ける必要がありそうだと感じます。

対談の内容については本書を読んでいただくとして、では自分はどういったスタンスでこの仕事に携わっていくべきかと考えた時に、アーキテクチャの問題をどういう形で引き受けるのか、という問いがありそうです。

少し考えてみると

①個別の設計活動において、設計方法、設計プロセスなどの部分でアーキテクチャに変化を与える。

②設計活動のステージをより現在のアーキテクチャにのりやすいところへシフト(共生・寄生・ハイジャック)する。

③アーキテクチャに変化を与えうる、関心・行動の連鎖に影響を与えられそうな活動を行う。

④現在力を持つアーキテクチャに直接的にアプローチする。

というようなことが思いつきます。(アーキテクチャという言葉を少し強引に使ってるところもありますが)
①と②は建築士としての直接的な設計活動として、③と④は直接的な設計活動を離れた別の活動としてとりあえずは分けられるように思います。

次に、それぞれについて少し詳しく書いてみます。

①個別の設計活動において、設計方法、設計プロセスなどの部分でアーキテクチャに変化を与える。

個別の設計活動において、他者をどう取りこみ、どう濃密さを取り戻すかというのは、身体の時代の方法においても考えられてきたことだと思います。
超線形設計プロセスやアルゴリズムなどをイメージとして頭に浮かべていますが、設計方法、設計プロセスなどの部分で設計活動の及ぶ範囲の小さなアーキテクチャーに変化を与えることでより他者を取り込むことが可能になるように思います。

また、読書中に

onokennote: 例えばtwitterは独立した個のつぶやきのTLが偶然性による干渉によって一種の創造が起こることがある。それには個自身の多面性とTLの多様性、クラスタや地域といった規模感が重要そう。そして、その規模感が独立した個々の集まりの中にぼんやりとした輪郭を与えると共に、(いわゆる)地方において独特なアドバンテージを生み出す大きな要因になっているように思う。これを建築の設計に置き換えてに、例えば超線形のパラメーターのようなものがTL状に独立して流れる中、偶然性による干渉によって一種の創造が起こる、といったイメージが重ね合わせられないだろうか。さらに、ここに規模感のようなものを重ねることで、同様に(いわゆる)地方において独特のアドバンテージを生むようなイメージは描けないだろうか。このアドバンテージ(と感じるもの)をもっと追求することで地方ならではの設計のイメージってありえないだろうか。 こう考えたら、dotの超並列ってTL的だなと思ったのですが、こういうアドバンテージを考えた時にtwitterやFBで他に重要なポイントって何だろうか。リアル(フィジカル)なものとの接続の仕方とか、他のツールとの親和性とかもヒントになりそうだけど。以上思いつきメモ。まー、今は一人事務所だから共同設計的なイメージよりTLに書き込みつつ全体のTLを眺めるような感じかなー。


とツイートしたようにWEBの知見・感覚を活かす方法はありそうです。(他を知らないので比較できませんが鹿児島県はわりとソーシャルメディアを面白く使ってる地域だと思うのでそうした教材はたくさんあるような気がします)

自分の現状としては、今まで本を読んだりブログを書いてきたことの多くは①に関することなのである程度の積み重ねはあると思いますが、実物に結びつけるところがまだ弱いと思っています。
これは今後もこつこつと考え実践していくことはできると思います。

ただ、個別の建物に限られるので射程距離が短いことをどう捉えるかという問題は残りそうです。

②設計活動のステージをより現在のアーキテクチャにのりやすいところへシフト(共生・寄生・ハイジャック)する。

これは批判的工学主義のアプローチをぼんやりイメージしてますが、現在の主要なアーキテクチャに関わりやすいところへ設計活動のステージをシフトすることで①に比べ射程距離が長くなりそうな気がします。
具体的には商業施設や規格・商品化住宅、リノベーションと言った分野でしょうか。

現状としてはリノベシンポ鹿児島を受けてかごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)で爪の先をなんとか引っ掛けた、という程度で、ほとんど手を付けられていないというところです。
踏み込むにはそれなりの戦略が必要でしょうし、勇気が要ります。

③アーキテクチャに変化を与えうる、関心・行動の連鎖に影響を与えられそうな活動を行う。

ぽこぽこシステム_建築メタverで書いたようにアーキテクチャに変化を与えうる、関心・行動の連鎖に影響を与えられそうな活動を行うことで例えば建築文化のようなものを定着させて①の射程距離を伸ばすような考え方がありそうです。
例えば個別の設計、イベントなどの活動、SNSの活用などが考えられそうです。
藤村さんが汎用性の高い方法論を説いたり教育を行ったりして射程距離を伸ばされてるのもここに入りそうです。

自分の現状としては、かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)かごしま建築/まちなみマップ『「棲み家」をめぐる28の住宅模型展』などがあたりそうです。

nowheretenbiz鹿児島市のまちづくりを考えるシンポジウムはじめ、鹿児島でもこの部分の活動母体になりそうな動きはたくさんありますが、僕自身はWEBでの発信程度(それも滞りがちですが)しか出来ていないのが現状です。
それなりに腰を据えてやらないといけませんが、今のところウェイトをそれほど移すことが出来ていません。
デザインマーケットin鹿屋は素晴らしいと思います。簡単には真似できないです。

④現在力を持つアーキテクチャに直接的にアプローチする。

地方の問題の多くは交通と土地の問題に帰着しそうな気がするのですが、そういった構造や制度的なアーキテクチャに直接的にアプローチする方法がありそうです。
岡部さんが少し言われてるようにもっとも直接的には行政や大学などの研究機関、もしくは関連企業などが担うべきことだと思いますが、イメージやアイデアを提出したり、そういったことが議論される場を設ける等できることはあると思います。
また、新しい公共のようにそれを担う人がシフトしていくべき分野もありそうです。

鹿児島市のまちづくりを考えるシンポジウムはここにも入れられそうですが、自分の現状としてはしっかりと関わるところまでは行っていません。

今、土地の分野から建築までを一体的に提案するようなとあるプロジェクトに関わらさせていただいていますが、これには①とともに④の部分でもアプローチができそうで大きな可能性を感じています。

じゃあどうすんべ

じゃあどうすんべ、というところですが、現状は①についてそれなりに考え始めている、というだけで、②③④についてはあまり力を入れられていません。

難波さんの「コントロールできる範囲を見極める」というところは、最近ローカルでよく聞く規模感という言葉ともかぶることもあり印象に残っていますが、それぞれに対してどれだけのウェイトをかけるかというのをきちんと設定しないといけないと感じています。

今、事務所としては1年目を終えたところですが、そのためにもまずは経営をある程度軌道に載せ、必要に応じて①以外の部分にも堂々と一定のウェイトを割けるようにならないといけないし、そのための体制作りがここ2年ほどの課題になりそうです。

なんだか現状をまとめる所で終わってしまいましたが、きちんと戦略をもたないとなかなかアーキテクチャには踏み込めなさそうです。ゆっくりきちんと考えよう。

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追記
基本的には①(もしくは②)を中心としてそこに③、④を明確に位置づける必要がある。明確に位置づけられないものは事務所としての役割とは別にきちんと切り分けるべきだろうな。その部分は他の役割を担うべき人に任せるか、一市民としての立場で動くか、もしくは別名又はリノベ研等の別枠で動くべきなんだろう。
ここの切り分けが明確でないとどこまでいっても曖昧になってしまいそう。藤村さんがTEAM ROUNDABOUTを切り分けてるのが参考になるかな。もう一度整理してみよう。

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