農的暮らしという未来 B296『地球再生型生活記 ー土を作り、いのちを巡らす、パーマカルチャーライフデザイン』(四井真治)

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四井真治 (著)
アノニマ・スタジオ (2023/10/6)

前回の本で著者のことが紹介されていて、以前から興味もあったので購入してみた。

気持ちとしては技術書のようなものを期待していたけれども、どちらかというと思想に関わるものだった。しかし、いろいろと得るものがあったように思う。

エコロジーの原理

著者はパーマカルチャーに触れつつも、その原理が何か分からず長い期間をかけて考えたようだ。
実践の期間は比べ物にならないけれども、原理的なことを理解したいという意識には共感する。

私は幼い子どもたちに、エコロジーという言葉の意味を「地球に優しく暮らすこと」と教えたくはありませんでした。(中略)人の暮らしが環境を壊すのではなく、生物多様性を増やしより豊かにできることに気付き、子どもたちと一緒に実現することができました。その気付き以来、「エコロジーやパーマカルチャーとは、地球における人間の存在意義を生むための学問や方法論である」と考えるようになったのです。(p.26)

これは、言葉は違えど、ここ数年で私が辿り着いた感覚に近い。
いや、私が、その存在意義をマイナスからせめてゼロに向けて変えるべきでは、と考えていたのに対し、著者の考えはより前向きかもしれない。

エコロジーやパーマカルチャーと聞くと何か特別なものと感じて身構えてしまう人もいるかもしれないし、私がそうであるように、ハウツーだけではその特別感はなかなか払拭できないこともあるだろう。

しかし、自分の中でそこに含まれている原理を一度掴みさえすれば、それは特別なものではなくなるし、信頼とともに共感も得やすくなるように思う。(ただ、見え方に注意を払わなければ、それは他の人にとっては特別な身構える対象のままになってしまうだろう。これは自分にとっても課題である。)

いのちは集め、蓄えるもの

「いのちとは何か?」
この問いに対しても、私が辿り着いたものに近かった。

光合成によって生じた不均一性は、めぐりめぐむサイクルの中で他のサイクルをめぐり、そして上の階層のサイクルへとめぐりめぐむ。その循環が、分子レベルから個体、さらには生態系へとめぐっていく。それらはいずれも、常に均一へと至ろうとする世界の中で、それに抗い不均一な状態を生み出そうとする営みである。(そういう意味では、生命ほど不自然なものはないかもしれないし、その不自然さが生命に何か不思議な力を感じさせるのだろう。)(オノケン│太田則宏建築事務所 » 生命、循環とエントロピー B294『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』(佐藤 直樹))

この、「常に均一へと至ろうとする世界の中で、それに抗い不均一な状態を生み出そうとする営み」を著者は「いのちは集め、蓄えるもの」と表現する。

著者はその表現へと至る過程で、エントロピーやプリゴジンの散逸構造、福岡伸一の動的平衡などを経るわけだが、その結果、「生物多様性は単位空間あたりの生物量を最大にし、それにより集め蓄えられる物質やエネルギーなどの資源は最大となり、持続可能性がより安定する」という理論に至る。

生命の「集め蓄える」はたらきを集合的に捉えることで、そこで生まれるダイナミックな関係性が、生命のつながりと持続性とをより高めることが見えてくる。そして、著者はさらに、人間をその集合的なはたらきを高められる存在だと捉えようとする。

この前向きな姿勢は、私にはなかったものなのだが、今は、なるほどと理解できる気がする。
(この生命のはたらきをより大きな視点でみることは、少し突っ込んで勉強してみたい)

地球再生型のくらし

ここから、タイトルの「地球再生型生活記」へとつながっていくわけだが、地球再生と聞くと少し大げさな物言いのように感じるかもしれない。

しかし、著者の提唱するものは、そんなに大げさなものではなさそうだ。

環境問題、もしくは、私たちの暮らしが生命の連鎖から外れ持続可能性を失いつつあることに対し、著者は農業人口の増加ではなく「農的暮らし」を営む人の数を増やすことを提唱する。

軸となる仕事を持ちつつ、生活の中に食糧生産を組み込むことで、身の回りの小さな範囲の「生命の集め蓄えるはたらき」を高めること。
これによって、耕作放棄地が活用され、生きるための技術が習得でき、人間の営みを環境から奪うことから、環境をより豊かにするものへと変えることができる。

数年前なら、イメージは湧くけれども実践はそれほど簡単ではないと感じたかもしれない。
しかし、実践へと片足を突っ込んでみた今なら、やってみれば別に難しいことではない、と言える。

鹿児島であれば、農的暮らしの可能な土地は都市部からそれほど離れていないところにいくらでも見つかるし、農的暮らしと言っても、簡単な自給であれば、隙間時間で十分に事足りる。

少しの意識と、時間さえ確保できれば、あとはえいやとやってみれば誰でもできることだし、それで得られることは驚くほど多いのだ。
興味があればやってみればいいのに、と思う。

吹上で小さな畑をやっていて、今年からは田んぼもする予定だ。
だけど、その意味は「やってみなければ分からない」と未だによく掴めていなかった。

それが、最近の生命とエントロピーの話、そして、今回の著者の話でかなり明確にイメージできるようになってきた。
そして、それと建築との関係も分かり始めてきた気がするし、田舎に限らず都市部でできることもあるのでは、と思えてきた。

それを、どう建築のイメージへと高めていけるか。

面白くなってきたかもしれない。




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