資本主義を使いこなすことは可能か B290『資本主義の中心で、資本主義を変える』(清水 大吾)

清水 大吾 (著)
NewsPicksパブリッシング (2023/9/6)

資本主義を知るためには、資本主義の中心にいる人の考えも知る必要があると思い、本屋でタイトル買いしたもの。

著者は外資系証券会社であるゴールドマン・サックスで16年間勤め、その内部で資本主義を変えることに奔走した方で、資本主義の現在地を知るためにはうってつけの著書かもしれない。

結論を先に書くと、ある部分での解像度は上がったと思うが、「成長せねばならないという前提がどこから来ているか」「資本主義を使いこなすことは可能か」という問いに関してはもやもやとしたものが残ってしまった。

私個人としては「資本主義を使いこなすことは可能か」という可能性の問題の前に、「成長せねばならないという前提がどこから来ているか」という原理の方にまず関心がある。というのも、まず前提の根拠が分からないことには成長ありきの前提のもとで考えるか、現実に目を塞いたまま前提を否定するかの選択になり、どちらにしても霧がかかった視界不良の中を進むことになる気がするからだ。

資本主義と投資家

まず、著者は資本主義の根本原理を
資本主義=所有の自由×自由経済(競争の増幅装置)
として定義し、「成長の目的化」「会社の神聖化」「時間軸の短期化」といった問題はラーメンのトッピングのように副次的に発生したものにすぎないとする。

この中で、特に根本的な問題であると思われるのは、「時間軸の短期化」のように思われる。
企業の活動にはそれにふさわしい「固有の時間軸」があるが、1年または4半期の情報開示や短期目線の投機家の活動により、その固有の時間軸よりも短期の成長のみが優先化される傾向がある。

これがひいては「成長の目的化」「(バーター取引を含む)会社の神聖化」につながるため、企業はその企業文化と企業の固有の時間軸を理解した、長期目線の有能な投資家とつながることが重要である。

その上でESG(Environment:環境 Society:社会 Governance:企業統治)またはROE(Return on Equity:資本利益率)に加えて、著者の提案するROE(Return on Earth:地球資源利益率)などを投資の基準・価値観として浸透させていくことで、資本主義を使いこなし「資本主義を世界の持続可能性に貢献するものに変える」。これが、本書の主旨、著者の願いであろう。

資本主義を使いこなすことは可能か

著者の活動は資本主義を改善していくための尊い活動であることに異論はない。

その上で、私個人としてはまだモヤモヤとしたものが残っている。
これは私の勉強不足もあって幼稚なものかもしれないとも思うが、今後の課題としてそのモヤモヤを書いておきたい。

・「成長至上主義」的な手段の目的化は免れたとしても、資本主義の原理は依然、競争と成長にあるのではないか。本書の中でもその前提は確たるものとして存在しているように思う。仮に、地球資源の使用の絶対量を増加させない、もしくは減少させるような成長が可能だったとしても、指数関数的に必要となる成長に反比例して資源利用の絶対量を抑えるような技術革新を続けることは不可能ではないのか。
・投資が慈善事業ではないとすれば、成長を強要するプレッシャーは避けられないのではないか。それとも、成長を抑えた上での共存の可能性があるのか。
・投資家が、資本主義において企業にガソリンを提供するような重要な役割を担うことは分かったが、地球上の大部分の富を専有する数%の投資家が地球の将来を決定するような構造に無理はないのか。彼らの選択が最善を目指すということを担保するようなものは何か存在しているのか(そうであるなら南北格差はとうに是正されていてもおかしくないと思うが・・・)。対抗する現実的手段はあるのか。(投資家とは誰か、ということの解像度も高めたい)
・企業活動による利益は基本的に投資家(株主)のものである、という原理は分かるが、そこにゲームとしての不平等はないのか。多くの人ががそれに納得して前提として疑っていないようにみえるが、なぜなのか。その前提の絶対性はどこからきているのか。
・投資家と比べて投機家と呼ばれる人たちの社会的役割は何か。メリットとデメリット、それらの重みはどの程度か。
・本書内で環境原理主義と斬り捨てるように”見える”場面があったが、それは著者の目指す世界に向けてのプロセスとして正しかったのか。その後の「絶対的な正義はない」という話や独自のストーリーの話は共感できたが、声に出すことそのものを当たり前にすることの重要性を考えるならば少し違った書き方があったのではないか。(ここは難しいところで自分の課題でもある)

要するに、
・資本主義の原理と基本的なルールを変更せずとも持続可能な社会とすることは可能か。変更が必要であるとするならばどのような可能性があるか。また、その上で著者の活動はどのように位置づけられるか。
ということはまだ良く分からなかった。

繰り返すが、著者の思いや活動は尊いものだと思うし異論はない。
しかし、だからこそその意味をもう少し理解できるようになりたいし、もし続編が出たら読んでみたい。

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