地方はどこへ向かうのか。(草稿)

またまたですが、たこはんさんのエントリーを読んで。

この本は未読なので読んだらまた別にエントリーを書きますが、とりあえず今漠然と考えていることについて。

反論の余地のある未熟な考えであることは分かっていますが、(草稿)ってことでおおめにみて下さい。また、自分が実践できているわけではないので自戒の意味もこめて書きます。

たこはんさんの意見にだいたいにおいて共感するのですが、まだ僕の中で整理のついていないのは以下の部分。

前々から感じているのですが、地方というのはもう都会へ供給できる商品がないようなのです。グローバリズムっていうのには抗えないのです。

グローバリズムには一定の価値を強要し、同じステージに乗りなさい、という強制力や暴力性があると思うのですが、これと同じ方を向いているときっと上記引用の通りだと思う。

もともとグローバリズム自体が搾取する構造をもっているのだから、これに乗ってはやっぱり絶望的になる。

だからといってどうすれば良いかはよく分からないけれど、ベクトルを都市に向けるんじゃなくて今生活している地域そのものへ向けないといけないんじゃないだろうか。

そして、グローバリズムの価値観をずらして地域へと向くためにはグローバリズムに着せられている鎧を一つずつ脱いでいかないといけないように思う。

都市化とは外部への依存化を進める過程ともいえるけど、そこから自由になるにはそういった鎧(外部依存)を一つ一つ脱ぎ捨ててそれを生活への楽しみへと変えていき、それによって求心力を得るしかないのではないだろうか。(都市化の進んだ場所では鎧を脱ぎ捨てることはかなり困難でしょう。また、それが楽しみとなって求心力を得られるのが理想。そのためにイメージ化と実践が必要)

今一度、足元にある生活を見つめなおすこと。都会がどう転んでもできないことを楽しむこと。そして、幸せのイメージを育てていくこと。(幸せという言葉は使いにくいですががんばって使ってみた。)

そのためには『イチロー? 誰それ?』という強さ・感受性を育てることも重要になる。(ですが、知識による武装は必要です)

ただ、そういうイメージを育てていくことが難しいことは理解しています。

少し前にラジオで食育の話をしていて、『 今の大人世代にむしろ食育が必要だが飽食の時代で育ってきた大人を教育するのはかなり困難といわれている。だからこそ子供たち・次の世代の教育が重要になってくる。』というようなことを言っていました。

高度経済成長期 を経験してきた大人たちが、個人ならともかく地域としての価値観を変える(持つ)ことはかなり困難でしょう。

だからこそ、次の世代にイメージを引き継ぐことに目を向けなければいけないのだと思うのです。

そのためにはイメージを描き続けること。そして、少しでも実践していくこと。

それしかないのではないでしょうか。

キーワードは『生活』と『教育』。だと思います。

まぁ、あまっちょろい意見かもしれませんが、少しは楽しいイメージを描けなければ誰もついてこないのではないでしょうか。(それが難しいっちゅうねん!)

最後にm.mさんの記事から再度孫引き。

「自分の身体により近い足下にこそいろんなものを積み上げていくことが大切なんだと思います。
今の社会は全員がよそのものでよそのことをやっているという感じがするんです。
私の理想は、人間が一日で歩ける半径40キロくらいの範囲で野菜や水など
必要なものが手に入り、その地域の中で暮らしが循環できることですね。
足下の衣食住のような小さな紡ぎあげこそが文化だと思うんです、
足下から生活をつくり上げる力がとても重要なんだと思います」(SOTOKOTO環境移動教室28よりSTARNETのオーナー馬場浩史さんの言葉)

雑誌の記事はまだ読んでいませんが、こういうことも関係があるでしょう。だって、僕たちが子供のころに”まちをどうしたいか”、とか生活そのものと直結するような教育を受けた記憶があんまり ないですもん。それとも、記憶がないだけで実際にはいろいろあったのかな。本当は小さいころからひとりひとりが真剣に考えていかないといけない問題だと思います。
(今日は早く寝るぞ)




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