『仲良くせざるをえない家』に関するメモ

前にお題を募集した時にたこ阪さんから頂いた『仲良くせざるをえない家』に関するメモ。
更新が滞り気味なのもあって、ちょっとだけ考えてみます。

この”せざるをえない家”ってあたりがさすがいいとこつくなぁ、と思わせます。

セオリー通りに考えると、昔の日本の住宅、襖で仕切られているだけの田の字型プラン、音も筒抜け、プライベートもなにもあったもんじゃない。だけど、その不自由さによって日本人ならではの作法があったし、家族のつながりもあった。その辺を現代風に解釈して・・・
もしくは、自由と責任についての考えが未成熟なまま形だけ輸入されたプライバシーの概念と個室。そのあたりを再考しつつ日本・現代に適応させながら展開して・・・
という感じになるような気がしますし、それでそれなりの案にまで広げられそうな気もします。

だけども、まぁ、勝手にやってるだけなので、もう少し、勝手に解釈を広げて・・・

仲良くせざるをえないのは家族同士だとはどこにも書いていません。(いや、半分書いてるかな。)
仲良くせざるをえないのは、もしかしたら、近所のおばあさんや頑固おやじかもしれないし、たこ焼き屋の常連さんかもしれないし、野良猫かもしれないし、町並みかもしれないし、庭の木や空や地面や雨や暑さや寒さかもしれないし、食材かもしれないし、地球かもしれないし、地域経済かもしれないし、過去の歴史や知恵かもしれないし、未来の人たちかもしれません。いや、当然家そのものと仲良くせざるをえないのかも。

こうして考えると、ちょっと面倒でも多様で豊かな関係性を(ほどほどに)もてるのがいい家じゃないだろうか、という僕が長い間考えてきてたどりついてきたこと、そのまんまになってしまいます。

さすが、たこ阪さん。そこまで考えていたとは・・・・・まいりました。

このお題は奥が深そうです。

たぶん、つづく。

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