B068 『下流社会 -新たな階層集団の出現』

下流社会 新たな階層集団の出現 三浦 展 (2005/09/20)
光文社

「下流」とは、単に所得が低いと言うことではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。

『脱アイデンティティ』のところでも触れたが、この視点のアイデアはおもしろい。

しかし、全体を通して「上流」「中流」「下流」といった階層(意識)の比較ばかりが述べられているのはつまらない。

著者は、終章やあとがきに見られるように、もっと広く温かい視線を持っている中で、あえて『階層意識』を強調したのだと思うし、上流と下流の分裂・対立を危惧しているのは分かる。

しかし、この本を読むことによる効果は著者の意図とは別に、下流という人の不安感を煽り、上流と呼ばれる人の思考停止を招くようなもの、対立意識を強化するようなものではないか。

『上流』『下流』という言葉には単なる分類という意味だけではなく、ある側面からの価値判断が含まれている。

世界の中の日本という国の資本主義的な価値観の中だけで上流だの下流だの競っているのは滑稽でもある。

現実の中で不安を煽られれば、そういう価値基準に安易に流されがちなのも分かる。しかし、狭い価値観の中で上だの下だの言ってる社会ってのはやっぱりお寒いし、逆行・後退している気もする。

僕個人的には、上だの下だの言うような後退はしたくないし、糞喰らえ、と思う。

僕が下流でいよう、という意味ではない。そういう分類が馬鹿らしいと思うだけ。
階層意識なんてのはおよそ前時代的で幻想的で21世紀にふさわしい概念だとは思えない。現実を持ち出す人もいるだろうけれど、ノルベルト=ボルツの言葉をもじると『「現実」を持ち出すことは、たいていは思考をサボるための口実にすぎない』。

「糞喰らえ」というのは僕にとってはモチベーションになる。
高校入学時に教育者から『勉強と部活・恋愛の両立は出来ないからするな』とまじめな顔していわれたことがある。(そんなセリフはドラマの中だけのものだと思っていた)
それに対しての「糞喰らえ」が僕にとっての一番のモチベーションになったし、その教育者を黙らせられたと思う。著者の意図は別のところにあるとおもうし、それを批判するつもりはない。ただ、この「糞喰らえ」が僕の栄養になる。ただそれだけ。
分析自体は興味深いし、『下流』意識に問題がないわけではない。教育機会の平等についてもある程度は賛成。




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